並走せよ！　暁の神速ランナー｜リアクション

並走せよ！　暁の神速ランナー

　寝子島高校一年二組の今朝の話題はといえば、にわかに盛り上がった神速ランナーのことで持ちきりであった。やれ誰が目撃した、誰が転んだと、笑える程度で済む失敗談を提供してくれるランナーは笑って楽しむにはちょうどいい。たまに振られる会話や、自慢げにクラスメイトが提供する幽霊の新情報に、表面的には笑顔で相槌を打ちながら、添木千唐は内心、
（そんなことはもう知ってるんだがね）
と、同級生たちの無邪気さに呆れたような気持ちを抱いていた。千唐の自宅――というより、テリトリーと言ったほうがいいだろうか――『添木組　寝子島支部』にはとっくの昔に、神速ランナーが実在する幽霊であるという情報が入ってきていたのだから。一定の条件下で確実に出現し、ある種の掟に従うかのような法則的な振る舞いをすることもわかっている。
「そろそろ授業が始まりますね。僕は席に戻りますよ」
如才なく笑顔でそう告げて千唐は席に戻る。支部で話を聞いたときは、その程度放っておいてもよいかと考えていたが、今は気持ちが変わり始めていた。
（明け方ですからゴシップ程度で収まっているようですが……これは意外と広まるのが早い。寝子島の玄関口である街道にはふさわしくない噂です。放置しておけば悪い印象が浸透しかねませんね）
千唐は、学内では『外』にいる時の思考で考えることが身についていた。誰も聞かない心の声だというのに、頭に上る考えまでも、ついつい丁寧口調になる。
「……解決しますか」
千唐はポケットの中の携帯電話を探った。

　噂では幽霊には、一緒にトレーニングを続けていたコンビの片割れがいるらしい。『身内』の連中に命じて探させることもできたが、千唐は自ら調査を行うことを選んだ。
「どれ。まずはその人物とコンタクトを取りましょうか」

　八神修は本土の木天蓼大学附属図書館にいた。多くの大学がそうであるように、ライブラリーカードを作れば、市民でも利用可能な図書館である。幽霊の出現情報を耳にしても街道へも行かず、島の図書館ではなく大学を当たったのは、彼なりの考えがあってのことであった。
「幽霊か。二十年以上の時が経っても、まだひとつ所に留まり続ける。それはすなわち『残念』があるということだ」
この世に残した念、心残り。それを取り除いてやらない限り、神速ランナーがこの島から消えることはないだろう。彼の心が残るのは、共に走っていたもう一人の走者をおいて他にない。修が丁寧に改めているのは、在学生向きの学報と、学外広報誌のバックナンバーだった。個人情報の保護云々で、卒業生名簿を閲覧することはかなわなかったが、ランナーとその相棒はかつての有名人だ。学報や広報に、その名前が見つからないはずがない、と修は信じていた。
「あった。小島選手と……石田選手か」
小島選手と石田選手は学報の、部活動紹介で期待のホープ、二つ星として紹介されていた。グラウンドで練習に励む姿、今もある老舗の銭湯『杜の湯』で汗を流す姿、肩を組み笑い合う姿。ちょうど二十四年前の四月のものだった。
「その二ヶ月後に、石田選手は事故で命を落とされたのだそうですよ」
写真の中の、背の若干高い青年を、すっと出てきた手が指差す。修がはっとして見上げると、同じ学年の添木千唐が立っていた。笑みのなかに、修はどこか皮肉めいた色を見る。
「なるほど。大学図書館で調べればよかったのですね。こちらを先にすべきでした」
そう言って、千唐は修の前にぼろぼろになった大学ノートを置いた。
「お二人のいた時分の部員名簿が陸上部室に残っていましてね。同期の方々を当たれば、きっと小島選手の現在にたどり着くはずです」
「情報共有をしませんか？　そして、小島選手を迎えに行きましょう」