並走せよ！　暁の神速ランナー｜リアクション

並走せよ！　暁の神速ランナー

　神速ランナーは島野夏帆にとっては疫病神にも近い存在であった。食卓の話題として、そのような幽霊がいるらしい、いや本当にいて、多くのランナーを翻弄しているのだそうだ、と軽い気持ちで話したことが、そもそもいけなかったのだが。
「それほどのものなら、夏帆、勝負してみるがいい」
まさか、と思ったが、祖父の目は本気だった。
「ピンチだわ……夏帆ちゃんピンチよ、ピンチ。じいさまがあんなこと言い出すなんて！」
人間離れした速度で走る幽霊に挑み、勝利をつかんで来いと言う。無茶振りだとしか思えなかったが、祖父は冗談を言うような性質ではない。『勝ってきました』と嘘の申告をしても、勘のいい祖父には見抜かれてしまうだろう。おおっぴらにはしていないが、夏帆の身体能力はかなり高い方だ。男子顔負けのタイムをたたき出すことだってできるし、持久力もある。これもすべて忍者マニアが嵩じた祖父に、物心つくころから過酷な鍛錬を課せられて来た結果である。夏帆は現代に蘇るくのいち候補といっても差し支えなかった。
「でもでも、さすがに人間を超える相手じゃ敵わないんじゃないかしら。かといって挑戦しないわけにも行かないし。うぐぐ……！」
苦悩する夏帆。それでも、投げ出す、逃げ出すと言う選択肢は彼女の中にはないのだった。
なぜなら、じいさまの命なのだから。

　雨の早朝、フードを目深にかぶって、レインコートのボタンをぴっちりと留める。これで万が一顔見知りにあっても、夏帆だとはそう簡単には気づかれまい。学校では『明るくハイテンションな、普通の女の子』をやっている夏帆が、プロの陸上選手も驚く速度で走っていたら驚かれるだけでは済まないかもしれない。隠してきた正体がばれるのも嫌だし、噂のネタにされるのだってごめんだった。
（さてさて、お相手の力量を拝見しようかしら）
序盤からハイペースで夏帆は走る。
「まずは正攻法で走ってみるわ！」
寝子島街道はかなりの長さがあるが、平坦な道のりでさほど大変なことはない。問題は速度だ。夏帆は背後を意識しながらも振り向かずに走る。
（ランナーは走っている人がいると、それに対抗意識を燃やすかのように現れると言うわ。ならそろそろ……）
予想通り、背後から何かが迫ってくるのが感じられた。しかし生者のようなはっきりした気配はない。足音は尋常でないほど早く近づき、夏帆に追いつき、追い抜いていった。夏帆は薄ぼんやりとした神速ランナーの背を追いかける。どんなに追っても、差は開いていくばかりで、とうとう背中は豆粒のように小さくなってしまった。
「くっ！　だめね……ぜんぜん追いつける気がしない！」
走り続けていると、人影が見えてきた。幽霊ではない、生きている人間だ。
（あちゃー。万が一にも、私だってばれないようにしなきゃね）
それは、何日も前からただひたすらに走り、挑み、幽霊の行き止まりの行く末を見続けてきた森蓮の姿だった。何度も転んだのか、手足には生傷がある。正体は隠し通したいが、ふらつきながら走る姿が不安で夏帆は声をかけた。
「ねえ、あの……平気？」
「心配要りません。望んでやっているのですから」
そう言葉を交わすその横を、再び、去ったはずの神速ランナーが通り過ぎていった。夏帆はぎょっとして首をめぐらす。
「ちょっ！　何今の!?」
「ご存知ありませんでしたか。ランナーは、街道を走る生きたランナーの数だけ現れるのだそうです。まるで、対抗意識を燃やすかのように。ふさわしい相手を、探すかのように」
（ふさわしい相手ねえ……）
蓮の説明を、夏帆は面食らった顔で聞く。