深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会｜リアクション

深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会

　ジニー・劉が夜、走る。それは彼の人生においてよくあることではあった。逃げるために走った。敵を追うために、走った。朝の日の光は彼にとって天敵のようなものであったから、ジニーが活動するのはもっぱら日が傾いてからだった。
　しかし今日の彼は、走る動機も、着ている衣装も、走る供となる者も、何もかも違っていた。仮装マラソンのランナーとして、看守の服を着て……
「劉さん、ま、待ってください！」
必死に彼について行こうと走る、鹿嶋洋美がそばにいた。だぼだぼとした囚人服姿である。

裏社会の匂いが漂うジニーと、ごくごく普通のおとなしい女性、洋美の取り合わせは、不思議な縁によって結ばれたものであった。首に結ばれたリボン風のチョーカーが乙女を主張していた。ジニーは立ち止まり、やれやれと洋美を見る。手に持った小道具のムチで帽子をぺしぺしと叩いた。
「おいおい……ガイドしてくれるって言ったのは洋美だろ」
洋美の眉がへにゃりとハの字になる。イベントなど無関心と思われたジニーが、深夜仮装マラソンへ参加しようと誘ってくれたことは、洋美にとってここ一番のうれしい驚きであったのだ。衣装もジニーが用意してくれていた。

「ありがとうございます！　なんだか意外ですね、劉さんがイベントだなんて」
「得意先の奴がこんなもんよこしたんだよ。夜の闇に紛れて遊べるイベントだ、たまにはいいかと……思ってな。気が進まねーか？」
「とんでもないです！　一等賞は無理かもしれませんが、がんばって完走しましょうね。あ、この辺には私の方が詳しいですから、ガイドしますよ！」
「ありがてーな。島の事情なんて、シーサイドタウンから出ねえ俺にはさっぱりだ。任せたぜ」

　そんなうれしいやりとりがあったと言うのに……ガイドするなどと豪語した自分が今は恨めしい。走る方は最初から期待されていなかったからいいとしよう。しかしどうして、知っているはずの道の記憶が怪しいのか。夜の闇のせいか、いつもぼんやりしているせいなのか。仮装ランナーが通るおかげで、なんとか洋美は自分たちがコースを外れていないと知ることができた。
「あ、こっちで、合ってるみたいです！　劉さん行きましょう」
失点を挽回すべく、慌てて動いたのがまずかった。洋美は何かにつまづいた。バランスを摂ろうとしてばたつかせた両手のせいで、仰向けに倒れそうになる。
「……ちっ」
「ああっ！　ご、ごめんなさい劉さん！」
（柔らかい、な……本モンの女ってのは、こんななんだな）
暖かい体、乱れた髪からはふんわりといい香りが漂ってくる。それは生身を感じさせるが、決して嫌な感じはしない。自分が、女に、嫌な感じがしないでいられる。その事実にジニーは安らぎを感じた。それを素直に表現できる彼ではなく、出てきたのは素直な気持ちではなく、天邪鬼な舌打ちだけであったのだが。
「……どこもなんともねえか」
ジニーが帽子のつばを必要以上に下げるのは、赤らんだ顔を見られたくないから。たとえ暗がりの中でも、少しでもその気配を悟られたくなかった。
「大丈夫ですよ。これでも立ち仕事こなしてますし、体力には、まあ、それなりに自信あるんです」
「何言ってんだよ……運痴のくせによ」
「あはは。今はちょっとしくじっちゃいました。ごめんなさい」
「もういい。遅れ取っちまう。行くぞ」
「え？」
洋美の手は、ジニーの大きな手にしっかりとつかまれていた。看守に手を引かれて、頼りない囚人がとことことついて行く。少しずつペースを上げるジニーに導かれながら、洋美は思う。
（ぶっきらぼうな口調は変わらないけど、最近劉さん、なんだか前より優しくなった……今日誘ってくれたのだってそうだし、今だって、いろいろ気を遣ってくれてる。これって、もしかして……）
「速さ、こんぐらいでいいか」
「はい、大丈夫です！」