深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会｜リアクション

深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会

　規定のコースはおよそ10km。寝子島スタジアムを出発し、寝子島街道を星ヶ丘に向けて走る。星ヶ丘駅付近で折り返し、旧街道に入る。寝子島高校前～寝子島中学校前を通過して旧市街に入り、東端の寝子島所付近でまた寝子島街道に戻ってスタジアムにゴールするというルートだ。仮装をしていれば身がかさばって走りづらいはずなのだが、トップ集団はすでにかなりのスピードで先を行く。どんどん取り残され、追い抜かれていくのも気にせずに、ふわふわ、にこにことマイペース――言ってしまえばかなりの鈍足だ――で走る少女がいた。
「ふふふ。夜の寝子島って新鮮です。なんだかドキドキします」

花とフリル、そして流れるように踊るリボンで飾られた上品なドレスのすそをそっと持ち上げ、レティシア・ル・テリエはそろそろとしとやかに走っていた。編みこみアレンジを施した髪の上には、月明かりを受けて輝くティアラが載せられている。ガラスの靴を模したヒールは『靴擦れしないで走れる靴』としてこの日のために特注したものだ。マラソンをするシンデレラになったレティシアは、疾風のように去る本気集団を目を丸くして見送る。
「まあ、みなさんなんてお速い……！」

　姫といえば、シンデレラとはまた違ったテイストの仮装もあった。機織り仙女『織姫』の衣装をまとうのは宮祀智瑜。かすかな明かりを透かしてきらめく羽衣が美しい。このイベントのために夜中の外出の許可を祖父母に頼み込んで来た。智瑜は周りを見回す。友人同士で衣装のテーマをそろえて参加している者が多いようだった。
「ひとりは心細いけど……せ、違う、彦星と一緒なら大丈夫です！」

智瑜がしっかと胸に抱くお供の人形『彦星』は、織姫に扮した智瑜と同じく、古代中国をイメージした衣装にもかかわらず眼鏡をかけている。彼女が心にひそかに思う、桐島義弘先生によく似た姿をしていた。見上げれば初夏の夜空は凛と澄み渡っている。智瑜はしばしの間、走ることを忘れてまたたく星々を見上げた。そして、くすりと笑うと彦星をぎゅっと抱いて、また走り始める。

　西洋の姫、中国仙女と来れば日本の姫も当然このイベントには存在していた。月光を浴びて走るのは、月から至りし伝説の美姫、輝くばかりの美しさを謳われたかぐや姫に扮した御巫時子だ。

　色とりどりの重ね着物は、古代日本の高貴な女性の装いだ。いつも一本にまとめて三つ編みにしている黒髪は、着物のすべらかな生地をまっすぐに流れている。基本的には伝統的なデザインなのだが、控えめな彼女にしては、一部非常に大胆な箇所があった。着物は帯の下からはオーバースカートのようにふんわりと広がり、その下からはミニスカートと、足袋を模した白いニーハイソックスがのぞいている。走ると惜しげもなく絶対領域が人目に晒される事態となるのであった。
「走りやすいようにと思ったのですが、ちょっと短すぎたでしょうか……」
着慣れている着物は落ち着く服装だ。下駄を履いて小走りすることなどは、時子には造作もない。しかしこの裾は、やりすぎてしまっただろうか。走ると太腿が思った以上にすーすーとして、恥ずかしいやら落ち着かないやら。思わず扇でそっと顔を隠すと、そのしぐさがいかにも深窓の姫のようだと、道の両脇から歓声が上がる。時子は速度を落として、他の仮装集団に紛れた。耳を澄ませば、近くに彼女の小さな友がいるのがわかる。時子はそっと、夜に活動する小鳥たちに呼びかけた。ろっこん『鳥の囀り』に導かれて、時子を慕う鳥たちが集まってくる。
「ふふ、お久しぶりです……。こんな時間にまた会えるなんて」
「あなたとは、初めましてですね……」
時子にとって、小鳥たちは人間の友人と変わりない。出会ったことのある鳥は、一羽一羽の個性を覚えているのだった。初めての小鳥にも優しく微笑みかけながら、寝子島の夜に降り立ったかぐや姫は自分のペースでのんびりと歩を進めていく。