春の桜に願いを込めて｜リアクション

春の桜に願いを込めて

●春に吹く突風
（みっちゃん恋愛話長ぇな……）
　授業の説明、特に恋に関する目標例を熱心に語る久保田美和を横目に、如月庚は一つだけ溜息をこぼす。
　聞くに堪えないほどではないが、理想の出会いまで提示しているのはこう、何処か遠くを眺めたい。
　机に頬杖をついて黒の瞳を緩慢に細める。果たして明日はどっちだ。
　一通りの説明が終わると、一人一枚ずつねーと美和が桜の栞を配り始めた。
（ふん……くだらん迷信だ）
　細く息を吐き、刃のような鋭さを持った薄紅色の瞳が光る。
　新井瞬平の視線はサングラスによって傍からは見えにくい。
　しかし静かな威圧を持って栞へと向けられていた。

　未来の自分について深く考え込む者もいる。
　森蓮は伸びていた背筋を改めて直すと真摯な表情で栞をその手に取り、夢宮瑠奈は一度考え込むような仕草を見せた後ペンを握ってゆっくり、しかし熱心に何かを栞へ書き込んでいた。
　奈良橋博美はくるくると器用に指で栞を回した後さほど悩まない様子で書き込み、桃川圭花は回ってきた栞を受け取ると、おさげにした髪を僅かに揺らし難しい顔で睨みつける。
　栞をその手に取りうーんと考え込むのは光村日向。
「こんにちわ……あ、僕1－10の……光村です」
「光村君ね、よろしく！　どうしたの？」
　栞に書かなくても良いのかと聞くと、もちろん大丈夫！　との答えが返る。
　そして差し出されたのは花びらの入っていない別の栞。
　その中から一つ選び、日向は丁寧に文字を連ねた。

（久保田先生は『美人なので、すごくいい彼氏がいるんだろうなー』と高嶺の花だと思われて結婚の縁がない……成程、成程）
　それが先生のモテない理由。
　そうかそうかククク、と草薙龍八は自分で導きだした仮説に忍び笑いをこぼす。
　隠しきれずに肩を震わせている様子は、傍から見れば怪しいことこの上ない。
　近くの席に居た椿美咲紀が心配に思ったのか勇気を出したのか、こそっと声をかけた。
「草薙さん？　……もしもーし？」
　ばんっと机を叩いた勢いで龍八は立ちあがる。
　美咲紀は驚いて目をぱちくり。え、大丈夫？
「ねえ、栞ならここに……」
「『桜の栞』……何としてでも手に入れさせてもらおうじゃないか！　久保田先生、後ほどお時間頂きますね！」
　駄目だ聞いちゃいない。
　宣言するや否や、龍八は黒の三つ編みを翻し教室を走り出ていった。
「えーっと……早退、かな？」
　どうやら後で顔を出してくれるようなのだが、今の様子から完全に授業は離脱する形になるだろう。
　突風のような龍八の背を苦笑交じりに見送った後、美和は気を取り直して外へ出ようと呼び掛ける。

「相手の幸せを願って……」
　皆が席を離れ始めた頃、常葉治は配られた栞を両手で持ちじっと見つめる。
　渡した相手の幸福を願う栞。
　治はふっと視線を上げるとある後ろ姿へ視線を移す。
　緑の瞳に、静かな決意を秘めて。

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