平穏なれ、曝書の季節｜リアクション

平穏なれ、曝書の季節

　修繕は順調だった。特に手際がいいのが、三年生の青龍寺琴理。図書館司書を目指しているだけあって、作業にまったく乱れがないのだ。慣れた様子で難しい糸綴じもすいすいと進めている。癒しの力に恵まれた彼女は、こうして生命なきものの傷を軽くすることにも喜びを感じているようだ。仕事の手を休めることはないが、まんべんなく目を配り、初めて作業に取り組む下級生をさりげなく見守ることも忘れなかった。
　たくさんの本を診ているうちに、テープや糸で修繕するほどではない細かい傷みが少なくないことに琴理は気がついた。そうっとあたりを見回して人の目がないことを確認してから、ほつれた布張りカバーの傷を手で覆い、ろっこん『癒し手』の力を注ぐ。手の内側が、ふわりと暖かい感覚に満たされた。琴理はそっと隠した場所を開いて見る。糸のほつれはそのままで、何の変化も見られなかった。
（残念です。もういのちがないから治すことができないのかしら）
傷は傷でも、本の傷には自分の力は働かないようだ。琴理はなんだか本に申し訳なく思った。
「ごめんなさいね。あなたたちの傷は、別な方法でちゃんと治してあげますからね」
小さく本に語りかけたのが聞こえたのか、向かいの席に座る真辺伸幸が反応した。
「やあ、おねーさんも本とお話しながらやるんですかー。俺もさっきからそうなんですよねぇ」
「あら、聞こえてしまったんですね。恥ずかしいわ」
肩をすくめてはにかむ琴理。
「だいじーにしてあげたら、もっとたくさん、ステキなお話読ませてくれると思うのよー」
「ふふふ。本当にそうですよね。真辺さんは上手に修繕してくれていますし、きっと本も喜んでいますよ」
琴理の言うとおり伸幸の手先は意外に器用で、糊付けしたページはまっすぐにきれいだった。他のページを汚してしまうようなはみ出しもない。だーいじに、だいじにねぇ、という言葉は、琴理の心も和ませるのだった。
（後輩さんたちに教えるのも楽しいですね。ついじっくり読みたくなるけど、今日は我慢しなくちゃ）
　そこに新たに参入したのは握利平。屋上から難を逃れて（？）図書室にやってきたのだ。
「修繕手伝いに来ました。握でっす」
「あら、ではこちらにどうぞ。わからなかったら教えますから、聞いてくださいね」
おっとりと琴理がそばの席を勧めてくれる。利平はそこに注目した。
「おおっ……で、でけー！」
「これですか？　寝子島出身の写真家さんの写真集らしいですよ。美しい風景が楽しめるように、大判サイズになっているんです」
琴理先輩。不埒な後輩はあなたの胸元を見ているんです。本じゃないです。女子生徒が近くにいたならば、そう指摘してくれたことだったろう。
（けしからん！　これはけしからん！）
心の声が言葉になっていないことに感謝するほかないだろう。写真集に見入っている（ように見える）利平に、琴理はにこにこと笑顔を向けている。