圖書館ノ怪｜リアクション

圖書館ノ怪

『カフェー・フランケンシュタイン』
　著：田山徳二郎

　一

　往來に二人、男が立つてゐた。かたや眞白のシャツの上、鶯色した七寶柄の着物に袴の書生で、名を倉前七瀬と云ふ。もう一方は麻葉文樣の着物に羽織の、中折れ帽が似合ふ。こちらは名を、千種智也と云つた。二人はきよろきよろと辺りを見回して、和裝姿の者と洋裝の者とが入り混じる景色を訝しんだ。七瀬は、氣がついたら妙なところに來てしもうたみたいですねと云つて、智也を見る。そして口を開いた。
「どうみても現代の寝子島ではないです……よね？」
「そう……だな……」
　七瀬にジッと見つめられた智也は、中折れを目深にして、未だ火のつかぬガス燈の下を歩き歩き思案する。往來を奔る馬車と車に、彼はテレビで見た連續ドラマを思ひ出した。然しうつつのことにしてはどこか浮遊感で足元が覺束ないやうな氣がする。智也は夢か現か計りかねて獨白した。
「ドラマの撮影か？　いや……夢？」
　彼の獨白を聞いてか聞かぬか、七瀬も暫し思案したが、すぐ頭を切り替へて云ふ。
「ま、焦っても仕方なかです。きっと、なんとかなるでしょう」
「……ふーん」
　七瀬の鷹揚な姿に智也は脱力し、この怪異的状況へ異を唱へる氣力も失せ失せ途端我關せずと云つた表情に成つた。七瀬はまた鷹揚に云ふ。
「せっかくやけん、とりあえず、喫茶店に行きましょうか」
「カフェ……カフェなあ。まあいいけど」
「『ハイカラ』なものがあるかもしれません」
「ハイカラ……」
　七瀬の言葉に呼び起こされて、ハイカラなものが、智也の頭を行き來した。相手が拒絶しないことをいいことに、七瀬は智也を連れてカフェーへと向かふ。二人の横を、馬車が通つて行つた。

　二

　聯檐家屋を横切つて、七瀬と智也は往來を行く。ふと、智也はその視界の端に俥が停まつてゐるのを見た。暇を持て余した俥夫の樣子を見るに、頼めば乘せて貰ふのは造作もないであらう。
「浅草にあるやつじゃねえか。ここにもあるのか……」
「せっかくやけん、乗っていきませんか」
「乗るか？　高そうだぜ」
　自らの財布の中身見つつ、智也は七瀬の瞳を見た。然しその瞳は煌めいてゐて、その輝きを奪ふのはどうも忍びない。智也はさう言つた心地して。溜息を吐いた。
「まあいいか……倉前」
　智也は七瀬に先んじて乘り上げ、手を差し伸べる。七瀬の手がその手に重なると、智也にグイと引つ張り上げられ、七瀬の足が浮いた。ドスンと袴が飜る。俥夫は二人が坐つたのを見て取ると、韋駄天の如き速さで走り出した。
「おおー、なんだかわくわくしますね！」
「だな」
　びゆんと横を通り拔けていく景に七瀬は子供のやうに喜んでゐる。智也は七瀬に相槌打ちつつ、初めて乘る俥に慣れないやうで、搖れる俥に振り落とされぬやう体を強張らせてゐた。
　往來の中で俥は人を追ひ越し、馬を追ひ越し、驅ける驅ける。七瀬は町の看板が並ぶ中にカフェーと云ふ文字を見つけ、停まるやう言ひつけた。俥夫はその後も暫し奔つて足を止める。智也と七瀬は二人で賃錢を拂ひ、俥を降りた。前にはガラス戸が陽を透かし輝く、モダンな建物が聳え立つてゐた。看板には、『カフェー・フランケンシュタイン』とある。
「いいとこですね。ここにしましょう」
「……ああ」
　聞きなれぬ名に智也はあらぬ想像をするが、サッサと前を行く七瀬に背を押される氣分になつて、その後をおそるおそるついて行くほかなかつた。
　テヱブルと椅子の並ぶ店内に二人は床木をぎしぎし鳴らし鳴らし、足を踏み入れ席につく。女給が寄つて來て、どちらにつくか計つてゐるやうだつた。然し智也にひと睨みされて、すごすごと別のテヱブルに行つてしまう。