圖書館ノ怪｜リアクション

圖書館ノ怪

『寢子島綺譚』
著：田山徳二郎

（一）

「図書館の場所を知らないか」
　見慣れぬ風景に途方に暮れるのにも飽きた頃、俺とＴは新田亮と名乘る男に話しかけられた。圖書館と云われても、俺もＴも此處の住人ではないから皆目見当がつかぬ。此の新田と云ふ男、往來に歩いて來ては、
「ここは過去の世界か？　まぁ調べれば分るか」
　と呟いてゐた。変はつた男である。新田は俺とＴの横を通り過ぎて、往來を行く人に同じことを聞いてゐた。俺もＴも其れ以上詮索する氣は起きなかつたから、マア先づは食はねば力が出ぬと、新田をちらと見てから近くのカフエエに這入つた。

（二）

　カフエエにて、俺とＴはビフテキを腹に収めた後、シベリヤなる菓子を食す。此のシベリヤなる菓子、羊羹を卵糖で挾んだと云ふ代物であるが、珈琲と合ひ美味なり。俺がＴと語らつてゐると、他の客のざわめきが耳に這入つてきた。話題の中心は先刻現れし美女である。
　名を仙藤紫と云ふらしき此のをとめは、堂々とした所作で卓子の隅に坐し、女給に注文を申しつけてゐた。艷やかなる黒髮を結ひ、洋裝のよく似合ふモガである。紫孃の美しさに俺もＴも暫し見惚れるが、彼女も我々と同じく夢に迷ひし人なのではないかと云ふある種の直感を得て、俺とＴは紫孃に接觸を圖つた。
「何かしら」
「そのう、もしかして仙藤さんも変な本を読んでここに来たのでしょうか」
　俺がかう聞くと、紫孃は凛とした佇まいに違はぬ怜悧さで我々に語り始めた。まとめるとかうである。

（三）

　旧市街にある古書店で、紫孃は一册の本を手に取つた。田山徳二郎といふ男の書いた小説である。ぱらぱらと流し讀みしてから家に帰り、床に就いて眠つてゐると氣附いたときには往來に立つてゐたさうである。
　道の眞ン中に立つ紫孃を、洋裝の者と和裝の者が奇異の目で見てゐたさうだ。撫子模樣の上質な着物着た紫孃はサッと端に寄り、どう云ふことなのかとやや首を傾げつつ、神魂なるものの仕業だと思ひ当たる。となれば慌てても仕方がないと考へ、此の世界を樂しむこととしたさうだ。大學に入つたばかりで忙しい日々の息拔きに良かつたと云へばさうかもしれぬ。
　紫孃が子細に町中を見回してみると、旧市街のなつかしき風景の趣深さに感心したさうである。今と変はらぬ姿あれば変はつた姿もあり、紫孃はそれをよく樂しんだ。とは云へ、歴史の上では見られぬほど発達した蒸氣機關にはさすがの紫孃も驚かされたさうだ。紫孃はさうして街を散策し、途中で小腹が空いたと云つてこの店に入つたのだと云ふ。
「もういいかしら」
　語り終へた紫孃は、明達な瞳で俺とＴを見た。料理が冷めてしまつたら申し譯ないので、俺とＴは彼女の前を離れる。
　然し我々が着物姿の紫孃を見る事かなわなかつたのは実に殘念である。モガ姿の紫孃も麗しい事には変はりないが、着物姿も華やかで美しかつたらう。俺とＴはそれから暫しカフエエに居たが、紫孃は料理を堪能したのち、街に出てしまつた。

（四）

　カフエエから出た俺とＴがちらと見ると、新田は相変はらず往來で圖書館の場所を聞いてゐたが、漸く目当ての情報を貰へたのか、新田は其の行動を辭め何處かへ歩を進める。怪しいと思ひ俺はＴに此處で待つやう言い新田を追つた。
　新田は己の尾行に氣附いたか氣附いてゐないかわからぬが、其のまま本屋に這入り何やら棚から一册二册手に取る。さうしてぺらぺらと讀むと、棚に戻した。さうすると新田は本屋を出、きよろきょろと誰かを探してゐるやうな素振りを見せる。と思へば、通行人に何やら話しかけて、何をか確認してゐるやうだ。漏れ聞こえた内容から察するに、同時代人を探してゐるやうだつた。
　俺は此處でＴの元へ戻つて、新田と共に此の奇妙な街を探索するやう云つた――。

このページにイラストを設定する