まかい探訪記｜リアクション

まかい探訪記

　白き幻獣を見送って後、向かったのは火焔草が紅く揺らめく草原。
　陽炎をたなびかせる一面の紅い草原の央、黒礫岩を複雑に組み合わせた城がそびえている。眼を凝らせば、城を構成する黒礫岩のひとつひとつに力ある呪術文字が浮き彫りにされている。
　私の纏うマントに縫いこまれた防火防熱の呪術文字など及びもつかぬほどに古き叡智がそこには存在していた。
　一個の町にも見えるその巨大な城が、次なる目的地。
　踏み出す度に火焔草が炎熱を巻き起こす。焼かれた喉にむせながら路を辿るうち、不意に冷たい風が駆けた。猛る炎が巨人の手に撫でられたが如く、火勢を衰えさせる。火の海に黒く伸びる路を歩んだその先、山塊じみて佇む巨大な門扉がある。
　来訪を告げる声を張るよりも早く、扉が開いた。溢れだす冷涼な空気の向こうに立っていたのは、巨大過ぎる城には矮小に過ぎて見えるほどの年若い青年。
　足元や肩に遊ぶ緋鱗の小竜や炎身持つ火猫に柔らかな笑みを向けるその姿は、ひとそのもの。
　けれど彼が此方に瞳を向けたほんの一瞬、垣間見た。
　炎と闇纏う巨大な翼を広げた、巨大な城に見合う巨躯と膨大な魔力持つ竜の魔人――
　ぎくりと瞬けば、私と然程変わらぬ身丈の青年が素知らぬ顔で佇んでいる。

「名を」
　短く問われ、一瞬に理解する。名乗らねば、彼の城には一歩たりとも踏み入れられない。例えばその強大な魔力で以て作り出される結界により、ひとことも話を聞けぬままに追い返されてしまうだろう。
　だが、私は名を持たぬ。それそのものが一個のまものである『まものずかん』を綴り続ける代償に、旅の吟遊詩人となる以前の名と記憶をまものずかんに奪われた。
　それをそのまま告げる。彼は心底面白そうに頷いた。
「なら、俺は貴方をなんと呼べばいい」
　ジオと名乗った彼に問われ、入城の許可を得られたのだと知る。
　詩人、と口にする。それが今は一番しっくりと来た。
「此処はまおう城のような巨大な物ではないよ」
　彼の案内を得て、門扉より内に踏み入る。本性である竜魔人の姿に合わせて造られているのか、彼の城はどこもかしこもが巨大だった。その癖、どこもかしこもに美麗に意匠化された呪術文字が彫り込まれている。
　炎さえ吹き荒れる火山地帯にあるというのに、回廊の庭には清水が湧き、色とりどりの花々が咲き乱れている。回廊から地下へと続く石段を掃き清めていた竜の翼持つ人々が揃って優雅な会釈を向けてくれた。彼らは此処を代々の住まいとしながら城の維持をも務めているらしい。
「地下は熱と炎から文化財を守るしね」
　ジオが石段の前に立った途端、地下へと伸びる段がふわりと不思議な光を放つ。地下には、地下迷宮じみた書物庫が広がっていた。
「書物や資料を溜め込むのは血筋らしい。部屋が幾つあっても足りないんだ」
　数代以上に渡って蒐集された書物の迷宮を眺め、苦笑するジオの傍ら、私は興奮を隠し得なかった。閲覧を願えば、いくらでも、との応えが返ってきた。ほとんど狂喜乱舞の態で、宝の山たる書物庫に飛び込む。
　彼や彼の祖が集めに集めたまかいやまものに関する書物を読み耽った数日は、正に夢のような日々だった。海底遺跡に囚われる彼を助ける術式さえ、ここで得ることができた。だがこれはまた、別の話。
　小竜や火猫たちを慈しみ、代々受け継いだ城と仲間たちを守りながら、彼はこの火山の城でまかいの理の研究に没頭する悠々自適の生活を送っているらしい。
　書物庫での閲覧に一区切りをつけたある日、彼は私をテラスでの茶会に招いてくれた。
「……珍しい話は俺の好奇心を満たしてくれる」
　花の香のする茶を口にしながら、ジオは眸を煌かせる。
　驚くべきことに、此処には異世界よりの旅人も迷い込んだことさえあるのだという。だからこそ、と身を乗り出す。
「貴方の見てきたまかいの話、それと貴方の話も聞きたいよ」
　いくつもの物語に耳を傾けて後、ジオはどこか夢見る少年のようなはにかんだ笑みを浮かべた。
「やってみたいことがある」
　テラスから遥かな青空と数多そびえる火山を見晴るかす。
「異世界を旅してみたいんだ」
　それは未だ、誰もが成し得ておらぬとされている偉業。いつか辿りついたその異世界の、まかいにはない生物と社会を、彼は体系立てて記録したいのだという。
「貴方がしてるようなことだね」
　そうなのだろうか。
　好奇心の赴くまま愛すべきまものたちの物語を綴っているに過ぎぬ私のこの旅が、竜魔人たる彼の興味を惹けるとは思ってもいなかった。
　光栄だ、と思わず呟けば、彼は怜悧な双眸を細めて微笑んだ。
「語り合おう」
　広大なまかいを背に、彼はまかいの愛おしさを謳う。
「時間は尽きないのだから……」

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