妖怪トレペちぎりの謎｜リアクション

妖怪トレペちぎりの謎

　あまり人のいない寝子高校舎。それもそのはず、まだ時刻は午前7時だ。『チョーさん』こと、寝子高用務員のおじいちゃん、長南武治（ちょうなんたけじ）は今日もせっせと廊下のモップがけをする。生徒が登校してくる前の軽い清掃は彼の仕事のひとつだ。だが、ここ最近は例の『妖怪トレペちぎり』事件のせいで、とても軽い、では済まされない仕事量になっていた。ありがたいことに心優しき協力者たちのおかげで、チョーさんは重労働も笑顔でこなすことができている。
「長南さん、廊下終わったんで」
抑揚のない声の男子生徒。2年5組の亜魚隈猯利だ。背後の廊下はぴかぴかに磨き上げられている。趣味の釣り以外で彼の目ざましい働きが見られるのは、この美化活動ぐらいだ。残念ながらその功績を目にする者はほとんどいないのだったが。
「悪いねえ、亜魚隈くん。これは私の仕事なのに」
「いいんですよ、俺が好きでやってるんだし。学校にも許可取ってあります」
「ありがとうねえ」
「高いとこ、何かあったら俺がやるんで、言ってください」
少し上から降る声。彼は小柄な武治より15cmほど背が高い。老境の用務員は、一見無愛想で曇った目をした少年を見上げてもう一度感謝を伝える。猯利はそれにただうなずいて答え、バケツと雑巾を持って歩いて行った。
「森君もいつもありがとう。助かっているよ。美化委員はほんとうに感心な子ばかりだ」
武治は猯利を見送ると、もう一人のいかにも生真面目な男子生徒に向き直り、作業着と揃いのキャップを脱ぐと軽く頭を下げた。
「そんな、やめてください！」
礼を受けた森蓮はモップを置いて自分もまた頭を下げる。今時には珍しい坊主頭をしたこの少年は、美化委員となるそのずっと前から当番と関係なく校内清掃を進んで行っていた。髪型ばかりでなく、その心根も清廉潔白にして勤勉、素朴と、現代には失われつつある性質を保っている。
「私にとっては当たり前のことですから。これからもお手伝いさせていただきます」
蓮は幾分恥ずかしそうにそう言うと、
「お手洗いの掃除に行ってきますね」
掃除道具を手早くまとめ、手ぬぐいを巻きなおし、もう一度深く礼をしてその場を後にした。その背に武治のゆったりとした声がかけられる。
「赤城君を見かけたら、ほどほどにしといてな、って言っておくれ」

　その頃マウル・赤城・スティックは、男子トイレで奮闘していた。ゴミ箱を手に、ちぎり散らかされたトイレットペーパーを次々とつまみ上げる。縮んだ紙くずを拾って放り込むリズムに合わせて、怒りの声を上げていた。トイレの入り口には、すでにトイレットペーパーでいっぱいになったゴミ袋が置かれている。
「まったく、拾っても、拾ってもっ、散らかし、やがっ、……てっ！」
彼もまた美化委員の一人である。こうまで幼稚ないたずらを続けるトレペちぎり、許しがたし。その思いでいたちごっこと知りつつも、懸命に掃除をすることで敵に対抗しているのだった。窮屈そうに大柄な体を個室に押し込め、丁寧にゴミを取り除いていく。
「しかし、いろいろ変なんだよな……」
トレペちぎりは決して、二階より上のトイレは狙わないのだ。
「そして、これだろ」
手洗器に引っかかっているトイレットペーパーの残骸を手に取る。濡れてはいるが、汚れてはいないのだ。離れたところから嗅いでみる。
「ただの水なんだよな。おかしな臭いなんてしない」
首を傾げるマウルの後ろから、猯利の声がした。
「ご苦労さん。雑巾がけは俺がやるから」
「あ、ああ。任した」
個室で器用に二人の男子生徒は場所を入れ替わる。猯利は雑巾を固く絞り上げ、壁に飛び散った水を手際よくふき取り始めた。
（これが終わったら拾い切れていない紙くずを取って、もう一度雑巾を洗ってから便器を拭いて、と……）
一人黙々とトイレ掃除に励む猯利の頭の中には、整然とした掃除プランが完成していた。

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