あなたと巡り合ってから｜リアクション

あなたと巡り合ってから

　眠れない夜。
　虚ろな心を抱えた朝鳥さゆるは今日も夜の街を彷徨い歩いていた。
　年頃の娘が時計の針も深夜を指そうという時間に街へと繰り出すという非日常は、彼女にとっては常と呼ぶに近い行いであった。
　冷たい闇に満ちる夜の喧騒はどこか遠くの出来事の様に、彼女の周りに纏いつくのは奇妙な静寂だった。
　とても静かだ。
　心の″何か″を遮断する弊害として周囲の音も共に捨て去ったかのごとく、とても静かだった。
　アスファルトに響く自分の足音はどこか他人行儀でさゆるは緩く息を吐き出す。こうして当て所無く時間をやり過ごすのは無意味と知っているからだ。
　どうしようかと上の空で考える。
　このまま行きずりの誰かと褥を共にし所詮肌の上でしかない快楽に溺れ失神するか、
　諦めて家に戻り、薬の力で泥沼の眠りに沈み意識を手放すか、
　どちらも選びきれずに考えあぐねいてしまう。
　どちらとも魅力を感じないからだ。
　こういう時に限って一声とも彼女を呼び止める者が居ない。彼女を遠巻きに見る視線も在らず、独りだった。
　誰かが誰かに怒鳴っているが、それも遠い。現実感は薄く夜の空気だけが肌に冷たい。

…※…

　さゆるの足が止まった。
　街灯の明かりを目で追いながら、さゆるが行き着いたのは小さな公園だった。
　何故こんな場所にと疑問が湧く前に、公園の入り口に彫られた公園の名前を記す看板で察しがついた。
　その場所は最愛の人との逢瀬を交わす約束の地だったので。
　公園灯の下に立つ。そこが待ち合わせの場で、ここから朝日が彼女の肌を照らすまで、ふたりだけの時間の始まりだった。
　無言で″彼″の後ろをついていって、″彼″の部屋に入り、″彼″に置いていかれる。
　所詮は。肌の上の戯れ。どんなに熱く混ざり合おうとも、男と女でしかなかった。抉っても抉っても足りない激しさに任せ絶頂を迎え果てても答えはそこに無く。彼女は自分の理性の糸を彼が引きちぎる音をただ聞いて、それに応える自分の体が熱の行き場所を求めてのた打ち回るのをただ感じた。
　どんなに多く傷つけられても若い肌はその爪痕を幾つ残してくれるだろう。噛み跡はどれだけ残っているだろうか。消える傷にはまだ痛みが留まっていた。
　時間の早さに記憶だけが取り残されていく。
　待っても誰も来ないのは判っていた。
　それでもそうせずにはいられなかった。
　未練だろうか。執着だろうか。それとも、愛執なのだろうか。
　最愛の人であるのだ。理由の枚挙に暇はなかった。
　そして浮かぶ理由に自問するも、自答は求めてなかった。感情の深淵を覗くには、彼女は虚ろ過ぎた。

…※…

　何時間が過ぎただろう。
　いよいよ以て周りから音が消えて、気づけば辺りは静まり返っていた。
　朝が近いのかもしれない。
　皆が目覚めを待って寝静まる間の孤独。
　待てど暮らせど人影はさゆるの隣りに佇むことはない。
　夜風に冷えた体を丸め、灯の元で、膝を抱えてしゃがみ込む。
「にゃぁ」と猫が鳴いた。
　さゆるが視線を下げたのを待ってましたとばかりに一匹の猫が草地を蹴って駆け寄ってきた。
　影から光の元に、翳っていた毛並みの柄が白色に晒されれば、それはさゆるの記憶に引っかかった。
「……あなた」
　どこかで見た猫だと気づく。
　いつから其処にと疑問に薄く開いたさゆるの唇は、そっと閉じられる。

　一年前のある春の夜も、こんなふうにこの公園で待っていた。
　来るはずもない人を待っていた。

　自分の傍らにちょこんと座る猫は、去年と同じ猫だった。
　根拠は無くても、直感が訴えてくる。
　多分、きっと。と。

「……あなた、去年もここにいてくれたわね」

　あの夜もこの子はこうして自分の傍らにいてくれた。
　そうしているだけだった。
　けれど、今はそれだけでいい。