●２年３組の光景
（まさか、担任が珪先生だなんて……！）
　綾辻 綾花の胸の高鳴りは止まることがなかった。夢の世界の話ではないのか、と何度も考えてしまう。
　それもそのはず、綾花が想いを寄せている司書教諭、早川 珪がこの２年３組の担任になったのだ。
　これからの一年、輝かしいものになること間違いない、と綾花は期待に胸を膨らませていた。

　そんな綾花とは対照的に、嘆き悲しむ者もいるわけで。
「あぁッ……！　これが悲恋というものかッ！」
　ババン！　とスポットライトでも当たっているかの如く。八十八旗 信彦は２年３組の教卓の前で胸に手を当て、声高らかに嘆いていた。
　今年こそは愛する彼女と同じクラスに……！　と念を込めていたが……無念にも、信彦のその想いは届くことはなかった。
　しかも、昨年までは１組と２組、といった風に隣り合う教室だったのだが、今年は３組と５組。
「これが遠距離恋愛というヤツか…ッ！」
　片膝を付き。信彦は５組の方向へと手を高らかに挙げる。あたかもロミオとジュリエットを演じるかの如き信彦の姿を奇異な眼差しで見つめるクラスメイトは多数おり。
（うわ、ひこにゃんいるじゃないですか……）
　新クラスの教室に足を踏み入れた瞬間、見覚えのある金髪少年が悦に浸っているのを見つけた屋敷野 梢。
　信彦とは幼馴染の仲である梢、それはそれは誰よりもクールな眼差しを信彦へと送りつけた。
（まあいーや。財布が増えたと思っておきましょー）
　気を取り直し。わざわざ信彦に声をかける筋合いもない、と梢は自分の席へと着席する。
（しかし……全体的に落ち着いてる感じがしますし）
　約一名を除くけれど。
（クレバーな雰囲気ですし、いい感じだと思います）
　約一名を除くけれど。
（これは1年間平穏で安泰ですねー）
　財布（信彦）はあるし。
　と、梢が一人頷けば、彼女のダークブラウン色のおさげ髪が柔らかに揺れるのだった。

　そんな中、ドキドキと胸を弾ませているのは本居 陽毬。
　長い睫毛をパチパチと動かしながら、これまでの生活に思いを馳せていた。
　陽毬はこれまで親の都合で転勤を繰り返し、同じクラスに留まることがほとんどなかった。寝子島高校に昨年入学してきたが、そこから陽毬は夢の寮生活に入ることとなった。
（親の仕事の都合に振り回されない、寮生活万歳！）
　寮生活を始めたこともり、もう親の転勤に住まいを左右されることはない。
（一年間は、このクラスで過ごせるのね！）
　他のクラスメイトにとっては、普通の事かもしれない。だが、陽毬にとってはそれはとても新鮮で、初めての経験なのだ。
（この教室で勉強して、皆でわいわいイベントを楽しむんだろうな）
　周りのウキウキした様子を感じ、己もウキウキドキドキと、陽毬は周りの光景を見回すのだった。
（わぁ、綺麗な赤い髪……）
　そこで陽毬が目を引かれたのは、緋紅朱 赫乃の姿。赤く長い髪に、小柄な体躯。
　ぼんやりと物思いに耽る姿はなんだか神秘的にも見えるな、と陽毬は思う。

　そんな赫乃は、周りの視線は全く気にせず。
（レクリエーション、３年生も、同じ場所……だったよね）
　思い浮かべるのは、一人の先輩の姿。
（今日は、勇気……出そう）
　赫乃は瞳を閉じ。先輩の姿を思い浮かべていた。

（わ、あの人アクセサリーいっぱい……）
　次に陽毬の目に映ったのは、犬杜 初の姿だった。
　ピンクのリボンをつけたツインテール。様々な可愛らしいアクセサリーをつけた姿はとても目を引いた。
　そんな陽毬の視線に気付いた初。目が合うと、つかつかと陽毬に寄ってきた。
「何？　気になる？」
「うん、可愛いアクセサリーたくさんだな、って」
　どこか強気に思える初だったが、陽毬の言葉に気を良くしたようで。
「いいでしょ、始業式だし、いつも以上に気合いいれちゃった」
「いいないいな。凄く可愛い」
　陽毬自身は『色気より食い気』派ではあるものの、持ち前のわんこ的パーソナルスペースの近さで初とアクセサリー談義に興じる。
　そんな少女二人に忍び寄る影……！
「お、レディたち可愛いじゃん、何を話してるんだい？」
　気さくな笑顔で近寄ってくるのは先程まで悲恋のヒーローだった信彦。
　さっきまでの悲壮感はどこへやら。
（ひこにゃん、通常運転ですねー）
　梢が信彦の同行を見守ると同時に、そんな信彦の同行を観察するもう一つの目。
　凛々しさと可愛らしさを兼ね備えた、釣り目がちな瞳で信彦へと視線を送るのは、月ヶ瀬 朔夜。
（八十八旗さん……）
　相変わらずだな、と大きく息をついた。

　信彦との出会いは勿論、朔夜は入学してからの一年間をそっと思い返す。
（思えば、あっという間の一年間でした）
　朔夜の実家は武道場。道場を継いでほしいという親からの期待を感じていたが、朔夜は家を飛び出すかのように寝子島高校へと入学し、桜花寮で暮らし始めた。
（それが正しかったかのかは、まだわかりません）
　だけれど、今の朔夜の気持ちは。
（いま、私はそうして良かったと思っています）
　この一年で得たもの、感じたこと。きっと親の元に居続けていたら手に入らなかったであろう様々なものを朔夜は思い浮かべ、噛みしめる。
　しかし、それと同時に、新たな疑問も朔夜の胸へと飛び込んできた。
（でも。そういえば。親の道場を継ぎたくはないけれど……）
　私は将来、何になりたいのでしょう？
　新たな疑問に、朔夜はむむ、と眉をひそめた。


　鴻上 彰尋が３組の教室に入ると、そこかしこで新たな交流が始まっている様子だった。
　新しい学年、新しい環境の第一歩。幸先良い一日になれば、と思いつつ自分の席へと向かう。
　同じ１年３組だった椿 美咲紀の姿を発見すれば、美咲紀も彰尋に気がついた。
「これからの一年もよろしくなのですよー！」
　ほわほわとした笑みを美咲紀が浮かべれば、彰尋も笑顔を返す。
　更に自分の席へと向かっていくと……そこにも、見覚えのある人物がいた。
「あれ？　佐藤君も３組？」
「鴻上君も同じクラスなのか」　
　そこにいたのは佐藤 英二。彰尋と英二は顔を見合わせた。
　――彼らには、密かな共通点がある。
　お互いに、気になる想い人が同級生にいるのだ。
　どこか二人共100％の喜び顔を見せられぬのは、どちらも想い人とクラスが離れてしまっているのもあるからで。
　同じクラスでなくても、お互いに素敵な一年になるように、とこっそりエールを送り合い、彰尋は自分の席へと着席した。
（前のクラスで仲良かった人達とは別々だけど、新しいクラスでも皆と仲良くできるといいな）
　彰尋は様々な表情を見せるクラスメイト達を見回し、笑みを浮かべた。


●２年３組のＨＲ
　始業の鐘が鳴る。
　その鐘がカウントダウンのように思える綾花。
　自重しようとしても、どうしても口角が上がるのを止めることはできない。そして、紅潮していく頬。
　今か今か、と待ちわびていると、足音の後にガラリ、とドアが開く。そして綾花の瞳に映りこむ、大好きな教師の姿。
（……珪先生！）
　２年３組の担任、早川 珪。
　一見ホスト風な印象も持たれる黒と赤で纏めた服装は、始業式だからか大人しめ。
　いつも通り、穏やかな笑みを見せながら教壇へ立った。
（良かった、夢じゃなかった……）
　変わらぬ珪の姿。綾花の胸の高鳴りはなかなか鳴りやまない。

　図書室を預かる司書教諭である珪は、他の生徒にとっても馴染み深い教師かもしれない。
（珍しい本も多くて結構楽しいし、先生の話を聞くのも楽しいから嬉しいかな）
　ミニコーナーを作ったり、珪との思い出がたくさんある彰尋も、担任が珪であったことを嬉しく思う人物の一人であり。
　そして梢も
（せんせーもハチャメチャじゃなくて、なおさら侘び寂びなクラスになりそーですね）
　平和大事！　と梢いつも通りゆるーーく珪の話に耳を傾ける。
　梢の前任教師はトラブル体質の島岡 雪乃だった、それよりは穏やかな日々が望めるだろう、たぶん。そう、梢は思った。

（ほほえほえ）
　美咲紀もまた、綾花とは違った種類の熱い眼差しを珪へと送っていた。
（担任のセンセーは司書さん……う、色々とまた乙女系な妄想がはかどりそうな状況が舞い込んでキター!）
　珪の見た目は、明らかにイケメンである。
　憂い気な表情は物語を感じさせる。
（しかし、こっそり私がノートにお話書いている、とか。その内容がやや偏っているとか……早川センセーに知られてはならないのです！）
　新聞部員であること、また文章を書くのが好きな美咲紀。そこから先生と仲良くなれるといいな、と思うのであった。

　そんな生徒たちの熱い眼差しを受けていることを知ってか知らずか。
　珪は穏やかな微笑みを崩さず、ＨＲを続けるのだった。