【赤い紐、きゅっと】

　くもりのち、晴れ。青々とした快晴を、黛 結は穏やかな面持ちで見上げます。ゆるい風が駆け抜けて、肩にかけた和柄の羽織をはたと揺らしていきました。
　寝子島高校の屋上。柵をひょいと乗り越えて縁に腰かけた結は、空中へゆらゆらと足を投げ出しながら、島をくるりと眺めています。
　何やらあちこち奇妙なことも起こっているようですけれど、目の前のこの青空は、少なくともフツウです。抜けるような、なんて表現にふさわしい、間抜けなくらいに青い空です。
「……でも」
　すう、と結はそこへ手を差し伸べます。風が、指に絡んだままの赤い組み紐をふわり、なぞるように舞い上げました。
「この島には、きっとこの色のほうが……お似合い」
　途端。青い空に浮かぶ日の光があっという間に沈み込み、木天蓼湾の水平線に足元を少し浸して、ぴたりと止まりました。瞬く間に世界は紅と金、鮮やかな錦色へと染め上げられていきます。
　『空"模様"を、わたし、自由に描き変えられるの』。
　今の結は、空のキャンバスを自在に塗り替える、イラストレーター。あるいは空の羽織るにふさわしい柄や模様を選び出す、コーディネーター。そんなところです。
　すすすと手を動かすと、どこからともなくやってきたうろこ雲が、金と紅の光をはらんでぼんやりと淡く輝き始めます。旧市街の真上には大きな綿飴のような入道雲がぽっかりと浮かんでいて、優しい雨をさあさあと降らせています。
「見て、くれたら……」
　緋色の晴れ空、ところによりにわか雨。結が幼い頃に見た素敵な空を、今、誰かが目にしてくれていたなら。わあ、なんてきれい！　そんなふうに、少しでも思ってくれたなら。
「……嬉しいな」
　誰かが心、動かしてくれたなら。結はそう、願います。



「ふあー……何やら、おかしなことが起こってるのだ～」
　本日の寝子島はなんとも、奇妙な様相を呈しておりまして。李 小麗はぽかーんと口をあけたまま、のしのしと目の前を横切っていく、ビルほどもあるでっかいパンダを見送りました。
　こんな日には、ひたすらにパニックになってしまったり、ノリ良く楽しんでしまったり、まあ色んな方がいらっしゃいますけれど。中でも小麗のリアクションは、いささか違っておりまして、
「いろんなウソがまぜこぜになって、被害がおっきくならないといいのだが～。大丈夫だろか……はっ！　あっちで何か、すごく悲しんでる女の子がいるのだ。心配なのだ、様子見に行ってみるのだ～！」
　優しいじいじとばあばの影響でしょうか、心配りのできる良い子な小麗は、自分よりも他人の心配に忙しいのでした。
　そんなわけで小麗の見つけた少女が、道端でなんだかぐったりとうなだれております、鈴白 真尋でありました。
「ど、どーしたのだ、なにがそんなに悲しいのだー？」
「誰も、信じてくれないの～……」
　真尋は顔を上げて小麗を悲しそうに見つめると、ぽつりとつぶやきます。
「真尋は４月１日が誕生日なのに、エイプリルフールだから誰も信じてくれないんだぁ……！」
「な、なんだってー！」
　めでたいめでたい誕生日ですけれど、ひとたびそれが何か別のお祝い事と重なると、そこにはちょっぴり切ない状況が生まれてしまったりなんだりするわけです。クリスマスと誕生日が重なってるとか、ちょうどお盆の真っただ中だったりとか……真尋の場合は、それがよりにもよってあらゆるウソがまかりとおる、エイプリルフールなのでした。
「じゃ、じゃあプレゼントとかは……？　もらえないのだ？」
「お父さんとお母さんからはもらえるけど……」
「ほかの人にはもらえないのだ？　それはちょっと寂しいのだな～」
　真尋には、プレゼントより信じてもらえないことのほうが重大事のようではありますけれど。ともかく彼女はがっくり、しょぼんと落ち込んでいるわけなのです。
　そんな真尋を見つめて、小麗は不意に背負っているパンダリュックの中身を、がさごそごそ。なにやら取り出しますと、
「……ゴマ団子？」
「こ、これは今日のおやつ用に作ったやつだったのだ、これじゃない感ハンパないのだ。ほかになにか～……あ！」
　やがて、にゅっ、とリュックの中から顔を出したのは……かわいらしい、白猫のぬいぐるみ！
　何やら分からず、こくりと首をかしげた真尋へ。小麗はとびっきりの笑顔を添えて、それを手渡しました。
「えっ？　く、くれるの？」
「昨日ＵＦＯキャッチャーで取ったやつだけど、あげるのだ。お誕生日おめでとうなのだ♪」
　まん丸く目を見開いた真尋。けれどすぐにも、ぱあっ……！　と笑みは広がって、白猫のぬいぐるみと一緒に、小麗をむぎゅっ！
「あ……ありがとぉ～～～！　うわぁん、嬉しいよぉ！」
「あははー、そんなに喜んでもらえたら、小麗も嬉しいのだ♪」



　さあさあ降るにわか雨を旧市街から移動させて、シーサイドタウンにもおしめりを降らせようかと思っていたところ。
　眼下では、小麗と真尋が仲良く手をつないで、にこやかに何かを話しています。にこにこ、とにかくふたりは楽しそうです。
「雨、雨。雨模様。……飴模様？」
　ふと頭の中に浮かんできたのは、そんな言葉。引っ込み思案な結も、明るい笑顔のふたりに当てられてしまったのかもしれません。
　結も少しだけ、微笑みました。



「そーだ、良いこと考えた！」
「ど、どーしたのだ真尋！？」
　おたがい自己紹介をして、瞬く間にお友だち同士になった真尋と小麗。
　唐突に真尋が声を上げて、小麗はびくりと飛び跳ねました。
「今日は、ウソが本当になっちゃう日なんだよね？　だったら、こんなウソをついちゃうよぉ。『世界中が、真尋の誕生日をお祝いしてくれる』！」
「おおっ？　こ、これはすごいことになりそーなのだ……！」
「それにそれに、『世界は真尋の好きなものでいっぱいになるの』！　たとえばぁ、雲はカラフルな綿あめで、雨は……」
　キャンディ！　と、真尋が口にする前に。ぱらぱらぱら……綿あめになった入道雲から降り出したのは、軽くて甘い、飴玉の雨！
　ふと見上げると、寝子島高校の屋上の縁に腰かけている、美しい羽織を肩にかけた少女が目に入ります。結は照れくさそうに、こちらへ小さくぺこんと頭を下げて見せました。
「ウソがホントになったのかな？　それとも……」
「あの子が、降らせてくれたんだろか？」
　どちらにしても、ふたりの笑顔がますます輝きだしたのは確かです。
　結がすうっ、と手をかざしたかと思うと、飴玉を降らせる入道雲がするりと溶けて、代わりにそこへ現れたのは、
「ふあー……！」
「虹だぁ！　七色のゼリーでできた虹だよぉ♪」
　結のウソと真尋のウソが絡み合って、世界をざああと塗り替えていきます。まるで、キャンバスに思うさま筆を振るうように。しゅるりと美しい羽織を肩にかけるように。
　赤みがかった錦色の空は、イチゴのかき氷。山は抹茶パウダーを降りかけた大きなチョコレートで、海や川はさわやかなラムネ味！
　いろんなウソが混ざり合ったら……なんて小麗の心配は、取り越し苦労であったようです。
「すごいのだ！　世界が真尋をお祝いしてるのだー！」
「！　もしかして今なら、街行くみんなにプレゼントちょうだい攻撃したら、もらい放題かも！？」
「おおっ！？　真尋はすごいことを考えるのだなー……！」
「えへへー。いこっ、小麗ちゃん♪」



　ふたりの少女を見下ろして、結の心は晴れやかです。少しだけ思い描いた空とは違うけれど、こんなのもきっと、悪くはありません。
「……おーい！」
「いっしょにプレゼントもらいにいかないか～なのだ！」
　気づくと少女たちが結へぶんぶんと手を振って、そんなふうに誘っています。
　指に絡んだままの赤い組み紐が、風に浮かんでふたりのほうへふわりと飛んでいこうとしています。結はうっすらと頬を赤く染め、はにかみました。