メリーさんの思い付きでお散歩、なの｜リアクション

メリーさんの思い付きでお散歩、なの

　ワンルームマンションの一室は薄暗く、夜を継続していた。閉め切られたカーテンは朝陽が当たって仄明るい。
　深倉理紗子は片隅のベッドで仰向けになっていた。着替える気力もないのか。白を基調にしたワンピースを着たまま、目が閉じそうになる。
　瞬間、軽い驚きが瞼をこじ開けた。ベッドの側に着物姿の女の子が立っていたのだ。
　理紗子は上体を捩じるようにして起き上がる。女の子と視線を合わせた。すぐには言葉が出て来ない。
「……ご、強盗？」
「あたしはメリーさん。今日はお散歩日和なの」
　無表情で答える。理紗子は近くのカーテンにちらりと目をやった。
「天気は良いみたいね」
「だからお散歩に出掛けるの」
　女の子はすっと前に出る。理紗子は困ったような表情で左右を確認した。人影を見つけることは出来なかった。
「もしかして、わたしとお散歩がしたいのかな」
「察しがよくて助かるの」
　更に前に近づく。理紗子は視線を外してシーツの皺を手で伸ばす。
「内科医として働いて、さっき帰ってきたばかりで。その、三十六時間の長時間勤務ってわからないと思うけど、かなり大変で少し横になりたいかなって」
「でも、寝付きが悪かったの」
　観察していたような口ぶりに理紗子は苦笑を返す。
「お散歩、良いかもしれないね」
「どこに行きたいの」
「そうね。行楽で賑わっているところではなくて、静かな場所……そう、川のせせらぎをのんびりと聞きながら歩きたいわ」
　女の子は黙って黒いローファーを差し出した。
「これ、わたしの靴よね？」
「ベッドに腰掛けて履けば床は汚れないの」
「でも、どうして部屋で？」
　履くの、と静かに迫ってきた。理紗子は受け取ると言われた通りにした。無防備な肩に女の子がポンと手を置く。

「これでいいの」
　その声は朝陽の中で聞こえた。
「え、ここは……」
　目の前に小川があった。川床の石がはっきりと見える。清らかな流れの中には細い笹の葉のような魚が飛ぶように泳いでいた。
「静かな場所でお散歩なの」
「……川の音や鳥の鳴き声はするけど、とても静かに感じるわ」
　小石と草を踏み締めて理紗子はゆっくりと歩き出す。
　小川の左右にはなだらかな稜線の山が見える。緑の陰影を見ていると自然に表情が和らいだ。
　女の子は側をちょこちょこと歩いていた。理紗子の視線に気付いて自身の唇の両端を人差し指で押し上げた。
「疲れた顔よりもスマイルなの」
「そうよね。来て良かったかも」
　理紗子は微笑んだ。女の子の表情は変わらないものの、少し動きが速くなった。
　緩やかに蛇行する小川の先は見えない。どこまでも続いているように思えた。
　理紗子は気ままに歩いた。前髪がしっとりと濡れてきた。涼を求めるように視線が小川に流れる。
　いつの間にか、女の子は先にいて小川にハンカチを浸していた。軽く絞ると理紗子の方に顔を向ける。
「これで汗を拭くといいの。ひんやりして気持ちがいいの」
「ありがとう。気が利くのね」
「大人の女性の嗜みなの」
　理紗子は笑みを浮かべた。やや頭を傾けた状態でハンカチを受け取ると近くの石に腰掛けた。開いたハンカチを額に当てると口から息が漏れた。目を細めて足元の小川を見下ろす。片方の靴を脱いで素足を入れようとして踏み止まる。
「まだ冷たいよね」
「手は入れても大丈夫なの」
　女の子は隣で実践して見せる。その過程で小石を摘まみ上げる。丸みのある三角形をまじまじと見て、ポイと川に投げ入れた。
「面白い形だったのに」
「シジミではなかったの」
　少し口を尖らせた女の子に理紗子は笑った。似たような石を自分用に拾ってポケットに収めると、清々しい表情で立ち上がる。
「お散歩の続きをするわ」
「シジミハンターになるの」
　二人は小川に沿って歩いていった。

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