メリーさんの思い付きでお散歩、なの｜リアクション

メリーさんの思い付きでお散歩、なの

　春休みにも関わらず、椎井莉鳥は用事で寝子島高校に訪れていた。私服ではなかった。高校生らしく、制服で決めていた。
　職員室を出た莉鳥は廊下で立ち止まる。迷うような目をして階段を上がった。
　北校舎の屋上に足を踏み入れた。誰の姿もなかった。
　莉鳥は柵まで歩く。すっきりとした大気のおかげで街がよく見えた。その向こうには空の落し物のような薄青い海が広がっている。
　ポケットからスマートフォンを取り出す。イヤフォンを差し込み、画面で曲を選択した。
　ぼんやりとした目をして莉鳥は曲を聴いた。僅かに頭が揺れる。
　一曲目が終わったところで気が付いた。横目を下の方に向けると、おかっぱ頭の女の子がいた。学校には相応しくない着物姿であった。莉鳥と同じように柵の向こうの景色を眺めているようだった。
　莉鳥はイヤフォンを耳から外した。
「あなたは誰？」
「あたしはメリーさん。お散歩相手を熱烈募集中なの」
　黒い瞳を莉鳥に向ける。黙って見詰めていると女の子の頬がプルプルと震え出した。顔を上げたままの姿勢が辛いように見える。
　仕方ない、と莉鳥は軽く息を吐いた。
「私があなたの散歩相手になるとして、どこに行くつもりよ」
「行き先はそっちで決めて欲しいの。どこでも連れて行ってあげるの」
「急に言われても」
　女の子の容姿は幼い。小学校低学年くらいに見える。莉鳥はどこか納得した表情で行き先を考え始めた。すぐには思い付かないのか。顎先に手を当てて少し俯き加減となった。
「……前に写真集で見た、あれは日本のどこなのかしら。森に飲み込まれたような廃墟のホテルが、とても幻想的で心に焼き付いているわ」
「そこが希望のお散歩コースなの？」
「そう、なるのかしらね」
　女の子は横に寄ってきて莉鳥の腕に触れた。

　緑の洪水が押し寄せてくる。そんな状況に莉鳥は一歩、後ろに下がった。隣にいた女の子は安心させるかのように腰の辺りをポンポンと叩いた。
「ただの森ではないの。こっちに行くとよくわかるの」
　木々が形成した抜け穴のようなところに女の子は突っ込んでいった。莉鳥は黙って後を付いていく。
　天上から陽光が降り注ぎ、人工的な物体を照らし出す。以前は白かったと思われる外壁は蔦に覆われ、茶と緑に浸食されていた。
「写真のホテルに似ているわ」
「ここが廃墟のホテルなの。あそこに名前があるの」
　壁の一部を指差す。苔むした色合いの看板にホテルの名前が辛うじて読める。
「本当に、ここが写真の場所なのね」
　感動を覚えたような表情で莉鳥が歩を進める。
　建物の内部は外壁と同じで植物の世界となっていた。ホテルの備品が朽ちていく寸前でとどまる。女の子は遠慮なく踏み付けてあちこちと動き回った。
　その様子を目にした莉鳥が声を掛ける。
「何か探し物？」
「茶菓子が見つからないの」
「残っていたとしても消費期限は切れていると思うわ」
「未知の味に挑戦なの」
　女の子は探し回る。莉鳥は口の端で微かに笑って奥へと向かった。
　剥き出しのコンクリートに活力に満ちた葉が生い茂る。無機質に有機質が絡まった情景に莉鳥は僅かに目を輝かせた。
　更に足を延ばす。いつの間にか、女の子も近くをちょこまかと歩いていた。
「茶菓子がどこにもないの。そっちはどうなの？」
「探してないから。私は別の用事があるのよ」
　床を這い回る根に気を付けながら進んでいく。かなり歩き辛いところでは自身の履いていたローファーを睨み付けた。
　閑散とした客室に踏み入った。壁に空いた長方形は窓の名残で片側に辛うじてカーテンがぶら下がっている。吹き込む風で大きく膨らんだ。
　莉鳥は目を大きく見開いて窓に近づく。一望した景色に息を呑む。森が樹海のように広がり、遠方には雄雄しい山脈が見える。
「……ここが写真で撮られたところなのね」
「茶菓子がないの」
　女の子は同じ景色を見ながら拗ねたような声を出した。

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