【お花見】しづ心なく花の散るらむ｜リアクション

【お花見】しづ心なく花の散るらむ

　ホワイトデーの日、すでに深倉理紗子は、深林真瞭……まーちゃんが嘘をついているのだと分かっていた。
　真瞭ほどは嘘をつくのが下手な人はいない。
　――まーちゃん、東京に住んでるなんて嘘で、本当は寝子島に住んでるんじゃ……？
　そう訊いておけばよかった。できるのなら、昨日のうちにでも。
「もう帰るね」と言って、寝子島駅まで見送った。彼女が本土行きの電車に乗ったのを確かに見た。
　でも、終点で折り返して島に戻るのは簡単だ。
　でもこのときは、そう思わなかった。いや、そうは思いたくなかった、というのが正しいだろう。
　彼女が自分に、嘘をついてるなんて思いたくなかった。

　そして今日、理紗子は柔らかいトランポリンの上に置かれたバーベルのように、沈んだ気持ちを上向かせるべく、春の陽気の中、桜並木に沿って散歩に出かけていた。土日と休みをもらい、その最終日を穏やかな気持ちで過ごそうとしたのだ。
　それなのに、理紗子は気づいてしまった。
　少し前を歩く背中を。二人連れの女性のうち、右側のほうだ。二人は笑いあいながら歩いていた。
「まーちゃん……？」

　カラカラに乾いた喉から無理矢理出したような声。自分にそんな声が出せることを、理紗子は初めて知った気がする。
　二人連れの右側が足を止めた。
　このまま逃げ出したかった。
　奇しくもそれは、理紗子の声を耳にしたとたん、真瞭が感じた気持ちと同じだ。
　だが真瞭が逃げなかったのと同様、理紗子も逃げることはしなかった。
　振り向いた顔が真瞭であることを、理紗子は確認した。
「りさちん……」
　それは、真瞭の知っている理紗子ではなかった。
　理紗子はもっとやわらかい表情をしていたはずだ。これまでは喜怒哀楽、そのどの感情であっても、理紗子の表情には角がなかった。四隅は丸く、押せば凹むような弾力を備えていた……はずだ。
　それなのに今の理紗子は、硬い。表情だけではない。声も、目も、立ち方すら硬く見える。
　鉄で作った理紗子のレプリカ、そんな印象すら真瞭は受けた。
　しかしレプリカではない。理紗子はこう言ったからだ。低く押し出すように、
「まーちゃん、昨日東京に帰ったんだよね？　何でここにいるの？」
「……ごめん」
　小手先のごまかしすら使おうとしないところを見ると――と理紗子は思った。
　彼女もよいよ観念したらしい。
「こちらは由良佳蓮さん、私の芸大時代の友達で……」
「まーちゃん、質問に答えて」
「だから、ごめん、って言ったよ」
「そうじゃない！」
　理紗子は良の拳を握りしめていた。
「まーちゃん、嘘つくの下手だよ……何もかも話して、なんて言わない。私だって人に話さないことがあるから。でも、嘘をつかれるなんて思わなかった」
「えっと、詳しい事情は知らないけど、理由はあると思うよ……」
　佳蓮は理紗子と真瞭、両者の顔を見比べながら取りなそうとするが、理紗子は彼女のほうを見もしない。
　ただ真瞭を見ていた。両眼から涙をあふれさせながら。
「もうなにがなんだか、全然わからない。まーちゃんが何考えてるか、全然わからないよ！」
　最後のほうは絶叫のようになっている。並木道を歩く顔がいくつも振り返った。
　真瞭は下を向いている。視線のやり場がなかった。
　かわりに佳蓮が、手を伸ばし、
「とにかく落ち着いて」
　と言った。
「落ち着いてます」
　こう告げたとき、すでに理紗子の声から、昂ぶったものは消えていた。
　だから理紗子には、涙声にならずに、次の一言を口にすることができたのだった。
「ごめん。言いすぎた。……しばらくまーちゃんと会いたくない。これ以上酷いこと言ってしまいそうだから」
　真瞭に背を向けて、理紗子は歩き出す。
「りさちん……」
　呼びかける声が聞こえたが、無視した。