【お花見】しづ心なく花の散るらむ｜リアクション

【お花見】しづ心なく花の散るらむ

　矢萩咲と七峯亨の並び歩くさまは、まるで一幅の錦絵のよう。
　矢絣袴の大正モダン風、髪飾りがわりに紅のリボン翻し、しずしずと歩む咲に従うは、懐手をした書生風、下駄履きの似合う亨だ。この装いは以前、卒業の日にした組み合わせの再現だった。

「弁天様の如き噂話もなければ、今度はのんびり川下りでも」
　亨の提案で、ふたりは手漕ぎボートの舫いを解いた。
　笹舟のように、音もなくボートは川を流れゆく。
　川にかかった桜の下で、停まる。
「やはり桜はいいな……その散り様とて優美。何より満開に咲き誇るその姿は雅……」
　咲は船縁に背を預け、つぶやくように、歌でも詠むように言葉をつむいだ。
「嗚呼、これでおはぎがあれば格別なんだが」
　とまで呟いて、ようやく咲は、亨が口をつぐみじっとこちらを見ていることに気がついたのである。
「ん？　咲の顔に何かついてるかい？　亨君」
　たしなめるでもなく難じるでもなく、ただ穏やかに、抱きとめるように咲は告げた。
　亨は目の下を薄く染める。けれども「見惚れていた」と直裁に言うのは無粋に思えて、
「咲く花というのは眺めても傍にいても、幸せで」
　そんな風に、謎でもかけるように答（いら）えるのである。
　といっても、いささか容易に過ぎる謎であろうけど。
　船の揺れが刻む旋律はいささか穏やかに過ぎ、眠気を誘うほどのものとなる。
　けれどそれもいい。
　互い心ゆくまで、まどろみもまた風情の贈り物と堪能する。

　小半時ほどそうしていただろうか。
　やがてうなずき合い、頃合いとばかりに亨はボートを岸に向けた。
　その途上、
「……？」
　亨は見知った姿を見つけた。桜の下にたたずんでいるのは、そうして、何をするでもなく幹に手を触れているのは、間違いなく詠寛美だ。春休みだというのに高校の制服姿である。いつものように不機嫌な表情ではない。それどころか、喜怒哀楽のないぼんやりとした顔つきだった。
　オールの手を止め、
「姐さん、頼んでいいか？」
　亨は咲の耳に口を寄せた。

　ひゅっと礫（つぶて）のようなものが飛んできたので、反射的に寛美は片手でこれを受け止めた。
　パシッと音を上げたそれはボール？　ではなかった。
「わっ！」
　さすがに受け止めきれず寛美は尻餅をついてしまう。カッと両目を半月型にして、
「七峯！　てめぇいきなり……！」
　一瞬言葉に詰まった後、
「いきなり、飛んでくるな！！」
　と声を上げた。
　飛んできたものはボールではなかった。『縮身』を使った亨だったのである。寛美にキャッチされた瞬間、彼はこれを解いて元の大きさに復したのである。
「驚いたか？」
「驚かねぇはずがあるか！　バカ！」
「悪ぃ悪ぃ、珍しく気ぃ抜いてたもんで挨拶代わりにさ……」
「どんなアイサツだ！　てめぇそもそもどっから飛んで……！」
　と言いかけて寛美は、川を流れるボートの上に、咲の姿を見つけたのである。
「……あ、ども……」
　ぺこっと会釈する。咲は苦笑いして、
「申し訳ない」
　と頭を下げた。
「また服のことでも何でも、相談に乗るぜ。そんじゃ」
　亨はぱっと片手を挙げて、咲のボートに飛び移るべく併走を開始する。
　寛美は手を挙げ応じかけたが、その手を、もう片方の手で押さえて下げていた。
「……相談することなんざねーよ」
　ふん、と腕組みして、寛美はしばらく、亨と咲のボートを見送っていた。