【お花見】桜の下で待ち合わせ｜リアクション

【お花見】桜の下で待ち合わせ

　シーサイドアウトレットの本屋で、黒いジャケットを羽織った痩身の男性を見かけ、綾辻綾花はどきりと胸を高鳴らせた。選ぼうとしていた本を手に取るのも忘れ、熱心に本棚を眺める男性のスラリと伸びた背中を眼で追いかける。
(早川先生……)
　こんなところで、という思いと、やっぱり出会えた、という思いが交差する。寝子高の司書教諭である先生なら、もしかするとどこかの本屋で出会えるかもしれない、そう思っていた。会いたいと、ずっと思っていた。
　胸が熱くなるほどの嬉しさに思わず小さな笑みを零したところで、
「あれ、綾辻さん」
　本棚から視線を外した早川珪が、図書室で会うときと変わらぬ優しい笑顔を浮かべて名前を呼んでくれた。
　それだけのことがとても嬉しくて、綾花は司書教諭の傍に小走りに近寄る。

「珪先生」
　こんにちは、と頭を下げる。
「うん、今日は」
　大学生にも見えそうな顔を屈託なく笑ませる司書に、綾花はアウトレットの入口でもらった大観覧車の半額チケットを見せた。
「一緒に乗りませんか。もし時間があれば、ぜひ」
「空から桜を見てみよう、か」
　チケットに書かれた文字を読み、司書は柔らかく微笑む。
「これから花見に行こうと思うんですけど、何処に行こうか悩んでます」
　なので、と懇願じみて司書の顔を見る。
「上から見て気になるところへ行こうかと」
　言ってしまってから、面倒見のいい司書の性格につけこんでしまうような気がした。思わず口を噤む綾花には気づかず、司書は軽い口調で頷く。
「時間もあるし、構わないよ」
　ふたりで並んで本屋を出、夕闇迫る大観覧車を目指して歩く。恋人同士に見えたりしないかな、と思って、綾花はこっそり顔を赤くした。
「陽が随分伸びましたが、それでももう暗いですね」
　赤い頬を誤魔化し、綾花は藍色の空を見仰ぐ。暮れ始める空に昇り始めた月を眺めながら、観覧車のゴンドラに乗り込む。薄く開いた窓から流れ込む風の音を耳にしながら、
(二人っきり……)
　うっかりとそのことに気づいた綾花はまた顔を赤く染めた。
「綾辻さん？」
「あっ、景色が綺麗ですね」
　どきどきうるさい胸の音を気づかれまいか、顔の赤さを可笑しく思われないか、そんなことばかりが気になった。
「珪先生は気になる場所はありますか？」
　向かい合ったベンチに座る司書の横顔を見る。知的な黒い眼も、痩せた顎から首にかけての線も、とても端正だと思う。
(高いところ苦手じゃないのかな？)
　見たところ、高くなってくる視界に動揺している風には見えない。
(私も、床がガラスじゃなければ大丈夫だけど……)　
　透明ではない床を見下ろし、安心する。
　いつも通る道も、空から見てみれば印象は大分違った。宵に煌き始める街の明かりや、ライトアップされて白く輝いて見えるあちこちの桜。水平線に眼を転ずれば、海を行く船の灯りがきらきらと見え始めている。
「綺麗ですね」
　静かに頷いた司書が、ふと首を傾げた。
「綾辻さん」
　名を呼ばれ、司書の示す九夜山の天辺あたりに目を凝らす。薄紅の不思議な靄が掛かっているかの如く見える場所は、三夜湖だろうか。
「行ってみませんか、珪先生」
　好奇心に胸をおどらせ、綾花は声を弾ませた。