【ネココー式卒業式、開幕】

　講堂ではすでに、卒業生の父兄たち、在校生たちが行儀よくぴっちりと席へ着き、式の開始を今かと待ちわびているところです。スピーカーからは音量控えめのクラシックが厳かに流れ、ちょっぴりのざわめきがあちらこちらで聞こえ、どこかそわそわとして落ち着かない空気がそこには漂っておりました。
　そんな中、鴻上 彰尋は緞帳の裏で、マイクや放送機材のチェックをしています。何か式の手伝いをと申し出た彼の、放送部としての知識や技術を買われて、今回は音響全般を担当することになりました。
（先輩方の晴れの舞台だからな。しっかりやらないと……）
「あら！　いーいもの用意してるじゃない♪」
　様子を見に来たらしい桜栄 あずさ理事長が、式の最中に流す予定の曲を収めたＣＤの中から一枚を手に取り、にまーりと笑みを浮かべます。
「あ。それは使いませんよ？　一応用意だけはしときましたけど……」
「ええー、使わないの？　つまらないわねえ」
　ラベルには、『寝子島高校（裏）校歌』とありました。ラップ調で、ここは寝子島　マジで良い島　セーイ？　とか始まったらみんなズッこけるに違いありませんもので、彰尋はもちろん使わないつもりです。彰尋は……気づいておりませんでした、その時理事長先生の両の瞳が、きらーん！　一瞬だけ、怪しい光を放ったことに……！
「えー。本日は暖かく穏やかな、今日という日に相応しい……」
　と、手にした紙をまんじりと見つめ、小声で何やらそらんじておりますのは、現生徒会長志波 武道です。彼は後ほど壇上にて、卒業生へ向けた送辞を行うことになっていて、その最終リハーサル中といったところのようです。
　彰尋は、そんな先輩のいつも見慣れた顔に、少しばかりの違和感を覚えて、
「武道先輩。大丈夫ですか？」
「ん？　いやー、さすがに俺も緊張しちゃってなー。実はちょっと寝不足、テヘ☆」
　ぺろりと舌を出した武道は、言葉のとおりちょっぴり緊張気味なご様子。彼にしては珍しいな、と彰尋は思いつつ、けれど無理もないのかもしれません。
　高校の卒業式という、卒業生たちには一生に一度の式です。そこへ言葉を寄せるのですから、失敗してしまっては目も当てられません。
　そしてそれは、彰尋の担う役割もまた同じこと。にわかに肩へ、ぶるると震えが走ります。
「ま、ま。気楽にやんなさいってば、あなたたち」
　そんなふたりへ理事長先生は、あっけらかんと言いました。
「どんな式でもね、記憶には残るものよ。そしていつかは良い思い出になる、そういうものなんだから。気楽にね」
　言うだけ言って、理事長はお尻をふりふり、先生たちが並んで腰かけている教職員席のほうへ歩いていってしまいました。
　そんな無責任な……と、思わなくもないわけですけれど。
「まー……そうだな。俺たちらしく、がんばろっか」
「そうですね」
　顔を見合わせた彰尋と武道の緊張は、それでも少し、ほぐれたようです。



　やがて彰尋はＣＤを抜き出して一度曲を止め、ステージ脇の司会者席へ、黒いスーツの男性が姿を現します。場内の喧噪が徐々に小さくなり、やがてすうっと消えていきました。
　式の司会進行を務めるのは、教頭、黒崎 俊介先生です。ここ一番の重要な役回りだからか、いつもよりどこか張り切っているように見えます……けれどちらほらと、生徒たちからは「誰だっけあれ？」「さあ……」なんて声も聞こえてきたりします。
　さておき。教頭先生はひとつせき払いの後、厳かに告げました。
「卒業生、入場」
　途端に鳴り響くのは、吹奏楽部が奏でる勇壮なメロディ。
　入り口から姿を見せ始める、ずらり並んだ制服。本日の主役たる、卒業生たちです。
　緊張した顔、晴れやかな笑顔、この先待ち受けている道行きを思ってか、少しばかりの不安顔。それでも彼らは胸を張り、揃って堂々と、講堂へと入場してきます。
　先頭に立って生徒たちを牽引するのは、それぞれのクラス担任の先生方です。
　まずは３年１組から。大柴 ツヤ子先生はドラム缶めいたド迫力ボディを揺らしながら、がっはっはと豪快に笑います。
　続く２組の担任は、永田 孝文先生。いつもの着流し姿や優雅な立ち居振る舞いが、今日はひときわ絵になっているようです。
　３組は、若杉 勇人先生。まだまだ年が若く、その表情はちょっぴり緊張気味ながら、それでもきりりと口元を引き締めています。
　４組の旭 雪彦先生はなんと、卒業式の空気にすっかり浸ってか、目を閉じたまま歩いております。本日は生徒たちの旅立ちへ、どんな雄大な自然を重ね合わせているのでしょう？
　５組の担任は、司書教諭の早川 珪先生です。スーツの着こなしはやっぱりどこかホストっぽかったりしますけれど、堂々と歩くのはさすがに様になりました。
　６組、ジャン・ポランスキー先生。彼は金色の髪を揺らし、青い瞳で前方を見据えながら、日本の伝統風景にもすっかり馴染んでおります。
　７組の笠原 七穂先生は、今日もド派手なカラーのウィッグを……さすがにつけてはおりませんけれど、一部の隙も無いスーツ姿はやっぱりキマっていて、おしゃれです。
　８組の担任、優しい瓜山 メイ先生は早くも目元を潤ませて、じんわりじわじわ、今にも涙がこぼれてしまいそう。
　９組はご存知、鬼の熊吉こと吉田 熊吉先生。一年間厳しく指導してきた反動もあってか、瓜山先生に負けず劣らず、目元はうるうる。泣きそうです。
　最後の１０組を先導する渡辺 将人先生は、本日もまたお見事な親分っぷり。彼を知らない一部の父兄からはどよめきが上がったりしつつも、本当はとっても良い人です。
　そうして全ての卒業生たちが入場し席へ着いたのと同時に、吹奏楽部の演奏は、じゃじゃん！　とひとまずのフィニッシュを迎え、いよいよ。

「……ただいまより、私立寝子島高等学校の、第５９回卒業証書授与式をとりおこないます」

　教頭先生が低くてとっても良い声で、卒業式の始まりを宣言しました。