【おくることば】

　卒業生の全員が卒業証書を受け取ったところで、壇上へ残った雨宮 草太郎校長先生が、蝶ネクタイをきゅっと直します。
「続きまして、学校長式辞。学校長、よろしくお願いいたします」
　教頭先生がナイスな声でそう告げると、校長先生は鴻上 彰尋が演台の上へ運んできたマイクへ向かっていそいそと、張り切って口を開きました。
　……皆さん、特に卒業生在校生問わずに生徒たちの多くは、この時点で割とイヤーな予感を感じ取っていたかもしれません。
「かの哲学者、シトラス・ガムダンは言いました。『何かを終えるのは、新しく始めるためである』と……この言葉には、いくつもの意味が込められています。そしてそのどれもが、今日という日に卒業を迎える皆さんにとっても、卒業というひとつのゴールを目指す在校生の皆さんにとっても、とても有意義なものであります。今日はこの言葉に隠された真意のひとつひとつを分かりやすく、丁寧に皆さんへお伝えするとともに、未来へ向かって進むための足掛かりとしていただきたく思う次第です、ほっほっほ。それでは第一に、ひとつの何かを終えるということはつまり、新しい何かが始まるというわけでありまして……」
　以降30分ほどずーっと、校長先生のターン！



　緞帳脇に待機しながらそれを聞いていた彼もまた、後半かなりグッタリとしてはおりましたけれど。
「まぁ、おかげで緊張はほぐれたかもな……」
「頑張ってください。武道先輩」
「そんなに堅く考えなくていい。寝子高だしな」
　彰尋の激励や、海原 茂の生真面目かつゆるいお言葉を聞いたなら、緊張で少しふわふわとしていた心も、ぴたりと定まりました。
「ありがとうございます。じゃ、行ってくるカナ！」
　長い長いお話を満足げに終えて、校長先生がステージを下りていったのが、ちょうどその頃のこと。
「在校生、送辞。２年１０組、志波 武道」
　名前を呼ばれ、彼はしっかりとした足取りで歩み、演台を前に立ちました。
　いつもはぐいとまくっている制服の袖を、今日は下ろしたまま。きっちりと着こなし、彼の持ち味ともいえる軽いおちゃらけを今日ばかりは封印して、何度も何度も読み返した原稿を取り出して、
「……送辞」
　卒業する先輩たちへ、その心へと届くように。武道は、言葉を紡ぎ始めます。



　本日は暖かく穏やかな、今日という日に相応しい最高の天気になりました

　本日は、ご卒業おめでとうございます
　在校生一同、心よりお祝い申し上げます



　前を向いて、はきはきと。



　編入した私にとっては、先輩方と過ごしたのは１年という短い間でしたが……
　部活動や委員会で先輩方から学ぶ事は多く、尊敬や憧れを抱くには十分すぎる時間でした



　武道は２年生。後輩たちを見守りながら、先輩たちからは託され受け継いでいく、言うなれば橋渡しの学年です。請け負ったこの役割に、彼は重い責任を感じています。
　ましてや彼は、生徒会長です。だからこそ、今日の武道には妥協も、遊びもありません。



　皆様は、大きな分かれ道へと歩みを進めます
　無限に分かれた枝のその先への道中には、決して順風満帆な道ばかりではないこともあります
　けれど、寝子島高校での日々を過ごした皆様なら、どんな道でも乗り越えていけると信じています



　心からの、言葉を。
　普段の自分を知る人には、物足りない挨拶かもな……なんて、ちらと思わないこともありません。けれど、今日だけは、
（茶化さずに、真っすぐ、伝えたかったからな……）



　先輩方にとっての誇らしい母校として
　伝統を引き継ぎ、発展させるべく全力を尽くしていく所存です

　最後に……
　卒業生皆様のご健康、ご活躍を心よりお祈り申し上げ送辞とさせていただきます



「……在校生代表、志波 武道」
　読み終えた原稿をたたんで胸ポケットへしまうと、彼はトレードマークでもある眼鏡を外しました。
　何も通さずに、自分の目で、彼らを見ていたかったから。
　偽らない自分の目を、彼らに見ておいてもらいたかったから。
（俺にできる、最後の贈り物です）
　青空の下に咲き乱れる桜のように、満面の笑みを添えて。武道は深く、深く一礼をして、ステージを降りました。



「卒業生答辞。３年３組、海原 茂」
　武道の堂々たる姿を見送ってから、彰尋は茂の背を送り出します。
「海原先輩も、頑張ってください。最後の言葉、よろしくお願いします」
「ああ、任せろ。妙なことは言わないさ。たぶん」
　……ん？　と彰尋はちょっぴり、首をひねりました。
（なんでわざわざ、そんなことを……？）
　一抹の不安を感じる彰尋をよそに、茂は涼しい顔で演台へ。原稿を取り出しつつも、それを見もせずにつらつらと語り始めました。



　校門を彩る桜並木に、毎年の春の訪れを感じるようになり、早３年となりました
　時は瞬く間に過ぎ行き、私たちが寝子島高校を卒業する日がやってきました



　入りはごくフツウ。前生徒会長でもあり、茂は落ち着いて、むしろ淡々として答辞の言葉を述べていきます。
　けれど、それに耳を傾けている彰尋や武道、生徒たちの多くが、んん？　と首を傾け始めたのは、無表情のまま語られる次の言葉からでありました。



　目を閉じれば、寝子島高校で過ごした日々の輝かしい思い出が、今も鮮明にまぶたの裏へと浮かびます
　楽しかった、寝子祭ー。大盛り上がりだった、パンツの色当てクイズー



　……んんんっ！？　ごくごくマジメーな顔のまま飛び出した、およそ卒業式には似合わないワードには場内が少々どよめき、壬生 由貴奈もへらりと笑います。
「ここで挙げる思い出、それなんだー。ていうか、誰もパンツ当てクイズには挑戦しなかったような～……？」



　下級生と交流を深めた、プール開きー
　うっかり盛大に鼻血を出してしまったのも、今となっては良い思い出です



　一部の生徒は、思い出したかもしれません。水着女子と密着したことで、彼が鼻から熱く赤々とした青春の迸りを力強く放出しながら、しゅたたたたっと走り去る姿を。
「何でこの人はこの舞台で、顔色ひとつ変えないで、堂々とそんなことを発表できるんだ……」
　彰尋はしばし、悩みました。



　たくさんの思い出ができた、修学旅行ー
　あの時、クラスメートがプレゼントしてくれた『おちこぼれ姫のなまらイケナイ北海道』は、今でも私の宝物です



　青龍寺 琴理は片手で顔を覆いました。なぜならかの旅行ガイドを装ったごく特殊な嗜好をカバーする彼の愛読書の一冊をプレゼントしたのは、他ならぬ琴理であったからです。
「大切にしてくれてるのは、嬉しいけど。どうしてよりによってそのエピソードを選んだのかしら……」
　ちょっぴり呆れながらも、近くの席で北風 貴子がキリキリと眉を吊り上げているのを見て、琴理は思わず苦笑いしてしまいました。



　そんな輝かしい日々が、今の私たちを形作ってくれたと言っても過言ではありません
　かけがえのない思い出と、この学び舎で育んだ友情。支えてくれた家族や、先生方への感謝……
　想いを胸に刻み込み、私たちは今日、巣立ちます

　本日ご列席の皆々さまのご健勝、寝子島高校のさらなる発展を祈念し、卒業生の答辞といたします



　と、最後はいちおう真面目にまとめつつ。
「卒業生代表、海原 茂。サンキュー寝子高、グッドバイ」
　そんな締めくくりにピースサインを添えて、茂は無表情にすたすた、ステージを降りていきました。



　卒業式にふさわしい言葉であったかは別としまして、少なくとも場内には、和やかで良い空気が流れています。
（やってくれるなぁ、先輩）
　武道もやっぱり、苦笑い。
　けれど武道の真摯な想いを乗せた送辞も、茂の最後のちょっとしたおちゃらけも、どちらも等しく、互いの胸へと届いたはずです。
　武道は胸を張り、晴れやかに微笑みました。