秘められた思い出｜リアクション

秘められた思い出

　早朝の旧市街に軽快な足音が響く。新田亮がジャージ姿で走っていた。首にはタオルを引っ掛けて、その都度、額から流れる汗を拭う。
　シーサイドタウンに繋がる橋が見えてきた。一度は速度を緩めた。が、急に加速した。
「もう少し行くか」
　橋を渡り切ると緩やかに速度を落とした。熱い息を吐き出して歩き始める。右手の小学校を眺めながら道なりに進む。
　中学校の校舎が見えたところで立ち止まった。少し険のある顔で過去を思い出していた。

　小学生の気分が抜け切れないのか。昼休みを迎えた教室は騒々しい。ほぼ全員が怒鳴るような声で話をしていた。
　亮は険しい表情で席を立つ。両手をズボンのポケットに捻じ込むと、やや背を丸めて教室を後にした。
　当てもなく廊下を歩く。端の方に生徒が溜まっていた。下卑た笑い声が聞こえる度に、クソが、と亮は毒づいた。
　校舎内を踏破した。亮は詰まらなそうな顔で下駄箱に向かう。靴に履き替えると速やかに外に出た。
　賑やかな声がするグラウンドは避けて校舎裏へと移動する。角を曲がった瞬間、黒い物体が視界に飛び込んできた。咄嗟に受け止めた亮が威嚇を込めて叫んだ。
「危ねぇだろ！　気を付けろ！」
「ご、ごめん、って新田君？」
「お前、同じクラスの田中じゃねぇか。何してんだ、こんなところで」
「見りゃわかんだろ」
　短髪がガムを噛みながら前に出る。生気のない目で睨んできた。隣にいた茶髪がせせら笑うような顔で言った。
「わかんなかったんだよ。ドチビだからな」
「誰に言ってんだ、こら」
　凄む亮の耳元、田中が早口で囁いた。
「相手は有名なワルで上級生なんだ。それに二人だし、逆らったらケガするって」
「へー、上級生なのか。呼び出されて、それで？」
　田中は言い難そうにして、カツアゲ、とか細い声で打ち明けた。亮は大袈裟に驚いて見せる。制服のポケットから自身の財布を取り出した。
「そういうことか。じゃあ、田中の代わりに俺が金を出してやるよ」
「お前、ドチビだけど話がわかるじゃない」
　茶髪がにんまりと笑う。その足元に亮は小銭を力なく投げた。三枚の一円玉を見た瞬間、二人組の顔が怒気に染まる。
「お前らみたいなクズには似合いの金額だよな。有難く受け取って、さっさと消えろ」
「なめんじゃねえぞ、クソガキがッ！」
　二人組は拳を振り上げて亮に襲い掛かる。短髪の大振りは懐に潜り込んで躱し、痛烈なストマックブローを捻じ込んだ。一瞬の動揺を見せた茶髪には跳び上がるようなアッパーカットを見舞う。
　数秒の早業で二人は撃退された。地面を転がり、苦痛に呻く。
「なんだ、まだ消えねぇのかよ。お前らマゾか？　そんなら前歯を何枚か圧し折ってやっても」
　脅し文句は絶大であった。捨て台詞を言えないまま、二人組は逃げ出した。
　亮は踵を返して歩き出す。ありがとう、という声を背中で聞いた。
「別に助けた訳じゃない。目障りなハエを手で追い払っただけだ」
　立ち止まらずに言った。
「本当にありがとう」
「勝手に言ってろ」
　亮は口の端で笑って返した。
　教室に戻ったあと、田中は亮に色々と話し掛けてきた。無視はしなかった。面倒臭そうに言葉を返す。
「そんなこと、俺が知るかよ。大体な、皆が流行を追い過ぎなんだって。もっと、考え方に芯がねぇとダメだろ」
「それ、僕にもわかるかも」
　田中は笑顔で同意を示す。亮は、本当かよ、と軽く突っ込んだ。

　亮は頬を流れる汗で我に返る。首に掛けたタオルで手早く拭いた。
「……田中のおかげで、俺は周囲に溶け込めるようになったんだ」
　軽くストレッチをして続きを再開した。
　――本当に救われたのは俺の方だったのかもしれないな。
　中学校を目にしながら亮は全力の走りを見せた。

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