FEAR THE FORCE：変異-METAMORPHOSE｜リアクション

FEAR THE FORCE：変異-METAMORPHOSE

　佐藤英二の目の前で、みかん箱からできた小さなワンボックスカーが、ころころと道を走っていった。
　それが気に入らないのか奇怪な昆虫（蟲）たちは、わっとこれを追いかけ、飛んでいく。
「さすがダンボーさん！」
　やりましたね、と英二は会心の笑みを見せるも、アルチュール・ダンボーは浮かない顔だ。
「……そうだね。あまり、力を使いたくなかったんだけどね」
　ダンボーの懸念通り、校内は混沌の極みにあった。我を忘れたように、呆然とベンチに腰掛けている姿や立ち尽くしている姿が散見された。それに、あの気味の悪い大きな昆虫が、いたるところに発生している。積極的に襲いかかってくることはないものの、進行方向をふさぐように、ポイントポイントに寄せ集まっているのだった。
　いま、その群生地点のひとつをダンボーが払った。
「先を急ごう。戻ってくるかもしれない」
　と呼びかけて、もうダンボーは走り出している。
「はい」
　続こうとした英二は、背後から声をかけられて脚を止めた。
「そこの坊や、寝子高生か？」
「そうですけど」
　と振り返った英二の視線が、すうっと上に伸びていく。
　長身の男性だった。ブランドものらしきシャツに、カシミヤのステンカラーコートを合わせている。いわゆるラグラン袖が、すらりとした細身の体格によく似合っていた。
　今着ているダッフルコートは気に入っているし、別に気後れする必要はないのだけれど、彼の洗練された『大人』なたたずまいと比べると、たしかに自分は『坊や』に違いないと英二は思う。自分にも、ああいう服装が似合う日が来るだろうか。その頃、野々ののこはどんな服装をしているだろうか――あれ？
　なぜかののこのことを考えていることに気がついて、慌てて英二は考えを打ち消して、
「えっと、どちら様でしたっけ……？」
「初対面だと思う。藤堂ってもんだ」
　藤堂静は蟲を撃破した後、鴻上彰尋、獅子目悠月とは別れて行動していた。彼らには、生徒会室で合流したい人間があるという。可能なら、後で屋上で落ち合おうと約束している。
「有り体に言えば、俺は通りすがりの部外者に過ぎない。ただ、この状況を見過ごせなくてな。似た場面に巻き込まれたこともある」
　ここで静は目をダンボーに向けて、
「あそこの彼は教師か？」
「いえ、それは」
　どう説明したものか口ごもった英二を助けるように、ダンボーが戻ってきて告げた。
「僕はアルチュール・ダンボーと名乗っている芸術家です」
「アルチュール・ダンボー……ダンボールの詩人か？｣
「いえ、工芸家というやつになるでしょうか。むしろ言葉は、苦手で……あっ、本名は香川です。僕も、藤堂さんのいうところの……」
「『通りすがりの部外者』ってやつか？」
「いえ、あ、はい、『部外者』です」
　――妙な言い方をするもんだな。
　静はひっかかりを覚えた。学校からすれば『部外者』なのだろう。だが、『通りすがり』のほうは否定したように聞こえる。たまたま通りがかったのではなく、明確な意図をもってここに来ているという意味か。
　しかしその疑念を静は口にせず、
「なるほど。つまりアンタも、そこの坊やに……」
「佐藤です。佐藤英二」
　思わず、といった調子で英二が言葉を挟んだので、「失敬」と静は訂正した。
「佐藤君に同行してもらって学校内に立ち入ってるってことだな」
「そんなところです」
「ミスターダンボー、あんたのことなら市の広報誌で読んだよ。客商売だから、ああいうのはマメにチェックしてるんだ。写真より実物はずっと若いんだな」
　ここまで軽く話して相手の警戒を解き、突然ずばりと静は核心を問うた。
「ところで、この異変の背後にいるとおぼしき人物が『ドクター香川』と呼ばれているとある筋から聞いた。共通するのは『香川』。これは偶然の一致か？」
　それとも……と鋭い眼をした静に、ダンボーではなく英二が食ってかかった。
「黒幕だなんて、そんなこと！　ダンボーさんは良い人です！」
「落ち着け、坊や。決めつけたわけじゃない。気になったことを口にしただけだ」
「……大丈夫だ、佐藤君」
　ダンボーは黒丸のサングラスを外し、力なく笑った。いいんだ、と言うように手を英二の肩に置いている。
「その『ドクター』と名乗っている人は、僕の兄です」
　声は大きくなかったものの、ダンボーの語調ははっきりとしたものだった。