●プロローグ1:真冬の飛蝗(ばった)
屍(しかばね)を並べたような夜の海を、飛蝗に似たものがひとつ、滑ってゆく。
闇に呑まれたその姿は、よほど接近しなくては目視できまい。
一艘の黒いボートだった。
ボートは波に同化したかのように音もなく、ほとんど飛沫を上げることもせず鍾乳洞の入り口に身を寄せた。
ふたの人影がボートから降りた。顔まで覆った黒いウェットスーツ姿だ。
一人は小柄な男性で、窮屈そうに身をよじってウェットスーツを脱いだ。現れた目には、逆手に握った匕首のような光が宿っている。まだ青年といっていい年頃のようだが、達観、あるいは早くも老成したような、どこか捻くれた薄笑みが口元にあった。黒髪だが、半ばまで白い。
もう一人は、シルエットからすれば女性だろうか。しかし、女性の一般的な基準を大きく超えた身長をしている。小柄な男と違ってマスクを脱がない。
「……間違いない」
男は言った。鼻岬窟と呼ばれる鍾乳洞の入り口にブーツをかけて、
「条件に合う。最近の呼び名も結構だが、ここはかつて『アムリタ』と呼ばれていた場所と見ていい。アムリタ窟ということになるか」
女は、それを聞いても何ら反応らしいものを示さなかった。
それでも男は、話し続けることが自分の正しさの証明になるとでもいうように喋り続ける。
「『黒の螺旋』があるとすれば、ここだ」
男は船から持ち出したバックパックを開けると、そこから拳大の石のようなものを取り出した。
完全な球形で、水晶のように透き通っている。ただ、月明かりに照らされても何の反射もしない。男は、それを手のひらに載せた。
「この王珠、使いたくはないのだが」
と告げて目を伏せると、王珠(おうじゅ)と呼ばれたものは小刻みに震えはじめた。男の手はまったく動いていない。王珠が、それ自体意識があるかのように動いたのだ。
一瞬、王珠の内側にひとつ、毒蛇のような目が浮かび上がって消えた。
間もなくして洞窟の奥のほうから、何か重々しい音が響いた。巨石が倒れるような音、それと、壁が崩落するような音である。
「……すまない」
音が止んでも彼はしばらく王珠を見つめていたが、やがておもむろに厚い黒布でくるみ、これをそっと背嚢に戻した。顔を上げて女を振り返る。
「やはり、ここに違いない」
このときようやく、ラバーマスクの下からくぐもった声がした。
「ならばカガワ……お前の言う、封印を解く『御子(ミコ)』が必要となる」
女の声ではある。掠れて低く、しかもその言葉は極端に訛っていた。
「わかっている。そこでナターシャ、お前の出番というわけだ」
野々 ののこが姿を消したのは、その翌朝のことだった。
凍り付くほどに寒い朝、寝坊したののこは、同室の
七夜 あおいに「学校、先に行って」と言いながらのろのろと着替え始めていた。あおいはその背に一声かけてドアを閉じている。
これが、ののこが最後に目撃された姿だ。
その日ののこは寝子島高校に現れなかった。
出て行った痕跡を部屋に残したまま、夜になっても戻らなかったのである。
◆◆◆
●プロローグ2:あおいの戸惑い
――どうしてこんなことに。
七夜あおいには理解できない。
ののこが行方不明になった。当然、事件だ。警察に相談した。事情聴取も受けた。あおいはできるだけ協力し、その晩はなかなか寝付けぬ夜を過ごすことになった。
すぐに大騒ぎになる……はずだった。
ところが翌朝は、静かすぎるほどに静かだったのである。
ののこのいない部屋から学校に行き、ののこのいない学校を、見る。あおいの目には、それはとても白々しいものに映った。
朝の廊下で担任の
五十嵐 尚輝を見かけ、彼女は息せき切って声をかけた。
「……野々さん?」
尚輝は怪訝な顔をするばかりである。
「そんな名前の生徒は……ああ、去年、あるいは一昨年の1年5組という話ですか? それは調べてみないとなんとも」
ののこの失踪について語るどころか、尚輝はおおよそ正反対のことを口にしたのだった。
野々ののこという人物なんて存在しない、そう言わんばかりに。
そんなバカなと動転するより先に、他の証言を集めるだけの分別があおいにはあった。
駆け足気味でたどりついた教室に野々ののこの席はなく、級友たちからも、
「野々……? いや、ちょっと心当たりないなあ」
「ののこ?
岡田 菜々子さんじゃなくて?」
「あおいちゃんって一人部屋だったんじゃ?」
ごく当たり前のように、そんな返事があるばかりだった。
「どうかしたの?」
あおいの表情に気付いて、級友が怪訝な顔をした。
「なんでもないよ。大丈夫」
じゃあね、とあおいは笑って手を振り、トイレの一室に駆け込むと錠を下ろし、
そこではじめて、涙をこぼしたのだった。
◆◆◆
●FEAR THE FORCE part1
その夜、あなたの携帯電話にメッセージが入った。
発信者は『Amrita』。タイトルはなし。いたずらメールと思って破棄しても仕方のないレベルだ。
しかしその奇妙なメッセージは、雪に落ちる氷柱のように、あなたの心に突き刺さった。
こう書かれていた。
野々ののこに会いたければ指定の時刻に指定の場所まで
質問は受け付けない返信しようと無駄だということも書いておく
警察その他公的機関に訴え出ることがどういう結果をもたらすか想像できる人間だけを選んで本状を送ったつもりだ
無機的な文章だけに却って、胴の長い翅虫のように不穏なものを感じる。
それにしても、このメールは何が言いたいのだろうか。誰の話をしているのか。
あなたは『野々ののこ』という人物を知らない…………はずだ。
いや、と、あなたは考え直す。
知っていたような気がする。
何度か文面を読み返してようやく、確かにあなたは、野々ののこを知っていたと気がついた。クラスメート、友達、行きつけのカレー屋でよく会う娘……内容は様々だが、知人であることは間違いない。どうしてうすぐ思いだせなかったのだろう?
そういえばこのところののこの顔を見ていないような気がする。
メールには、一枚の地図が添付されていた。明日の夕方頃の時間が、地図の隅に書き加えられている。
地図は、鼻岬窟の奥を指していた。
地図の一部に手書きで、こんなメッセージも記されている。手遊びの即興詩だろうか。
滝ヲ遡ル者ニ用ハナイ
雲ヲ得ルノモ無縁ノ事ナリ
髭ヲ狙ウ者ニコソ会ワン
―――――――――
同時期、ねこったーの片隅にぽつりと、以下のメッセージが出現した。
「過去と向かい合うのは愚か者のすること
その愚か者を求む」
投稿者名は『Amrita』。
この投稿の末尾には、明日の夕方頃の日時が刻まれ、鼻岬窟の奥を示す地図も一緒に投稿されていた。
明日のこの時間にここに来いとでも言うのだろうか?
誰が最初にこれを見つけ、広めたのかはわからない。
ただ、このメッセージはやがて、古刹の池に小石を投じたときのように音もなく波紋となって拡がっていったのだった。
あなたは偶然、これを目にしている。
そして読み捨てにできず、なにか胸騒ぎを感じている……かもしれない。
―――――――――
学校から戻ると稽古着に更衣し、
詠 寛美は日課のランニングに出ていた。
その日は午後から冷たい雨が降り、いくらか小康状態を取り戻しつつも今なお、霧吹きで氷水を吹きつけられているような空模様である。一昨夜からの寒波の到来もあって、じっと立っているだけで骨の奥から凍えていくようだ。
けれど今の寛美に、寒さは関係がない。
目抜き通りをすり抜け、ガードレールを跳び越え、歩道橋を一段飛ばしで駆け上がる。
息を弾ませながら走る。汗と雨と冷えが一緒くたになったものが額から顎を伝い滴り落ちていく。
決して、悪い気はしない。
こんな状況ゆえ人の姿が皆無なのも、寛美にとっては好都合だった。寒中に稽古着一枚で走る少女を、不躾な目で見る通行人と出会うことはない。
アスファルトから砂地、そしてゴツゴツした岩肌、寛美のシューズが踏む感触は変化していき、やがてはランニングというよりクロスカントリーの様相を呈しはじめた。
それでも、いやむしろそれだからこそ、寛美の両脚には力が籠もっていた。
満足したように脚を止め、彼女は振り返った。つい興が乗って鼻岬窟のあたりまで来ていた。
宵闇のペールブルーが、もうかなり重ね塗りされている。じき真っ暗になるだろう。
帰るか、独言した彼女の視界に、何か動くものが映った。
虫?
なにか甲虫のような、濃緑色をした生き物だ。
大きい。ビーチボール大はありそうである。
そいつは鉤爪のような後ろ脚二本で、その鈍重そうな外見からは予想もつかないほど俊敏に姿を消した。
一瞬だが『顔』も見えた。
蝉に似ている。長い針状のものが飛び出していた。
じじ、と音を立てて硬い甲を開くと、そこから琥珀色の翅を出して蟲(むし)は洞窟の方向に消えた。
予想もつかぬものの出現に、寛美はしばし、戸惑いと恐れ、それに好奇心を足して三で割らないような顔をして立ち尽くしていたが、新たな来訪者を見てとっさに柔道の構えを取った。
警戒する必要はなさそうだ。傘を差した少女がひとり、まっすぐにこちらに向かってくるのだ。
「おい、あんた」
思わず寛美は少女に声をかけていた。寝子島高校の制服だ。一年生か。
「まさかあっちに向かうつもりか」
目の動きだけで洞窟の入口を指し示す。
七夜あおいは無言でうなずいた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
マスターの桂木京介です。
本作はゴールドシナリオであり、<FEAR THE FORCE> と名付けられた一連のシリーズシナリオの第一話となります。(シリーズは全三回の予定です)
突然、謎の人物(冒頭に登場したナターシャが実行犯です)によって誘拐されたののこの行方を追う、あるいは、ねこったーのメッセージに導かれてさまよい出たあなたは、大きな力のうねりに巻き込まれていくことでしょう。
届いた謎のメールも、ねこったーのメッセージも、ともに同じ日、同じ時刻を指定しています。
ののこを救いに行くか、『過去と向かい合う』というメッセージに奇妙に惹かれるか、あるいは、蟲(むし)をはじめとする怪現象の調査を行うか……などなど、参加の切り口はあなたらしいものを選んでみて下さい。
舞台
舞台は『鼻岬洞窟』を候補に考えています。
他のシナリオでも登場した場所ですが、その奥は広大で、迷路のように入り組んでいると思われます。
以前入ったことのある人であれば、一部地形が変わっていることに気がつくことでしょう。
謎の人物
●カガワ:おそらくは首謀者です。手にした青紫色の水晶玉(彼はこれを『王珠』と呼ぶ)には強い魔力のようなものがあり、ここから矢を放った、眩い光をほとばしらせるなど、さまざまな攻撃を行うことができます。
●ナターシャ:その協力者、あるいは部下です。元々は異国の軍特殊部隊にいたようで、音も立てず忍び寄るなど高い戦闘力を持っているようです。
必ずこの二人、あるいはどちらかに会うことができるとは限りません。
『アムリタ窟』
鼻岬洞窟の別名です。入り組んだ構造をもつ迷宮状の洞窟ですが、途中からは古代文明の遺跡とおぼしき石造りの構造になっていきます。
蟲(異形なるモノ)
カガワがなんらかの秘術を行った結果、洞窟内には異形なるモノが多数出現、徘徊しています。昆虫を思わせる彼ら(?)を、本シナリオでは『蟲(むし)』と呼びます。
蟲は侵入者を見つけると対話する余地なく襲ってくるでしょう。色々な形状があるようですが、いずれも共通して鋭い針のような口をしているということです。これは強力な武器でアルばかりか、岩壁に穴を穿(うが)つことができるようです。大半の個体には飛行能力もあります。
ただしそれほど強力な敵ではありませんので、格闘技をやっているキャラクター、戦闘向きの『ろっこん』を持っているキャラクターであれば、一対一なら苦もなく倒せる相手のはずです。
『過去と向かい合う』
この展開を希望したキャラクターにのみ発生する事態です。
遺跡内には歪められた時空が存在しており、あなたの意識は一時的にあなたの体を離れ、過去のある場面に着陸する場合があります。
過去においてあなたは過去のあなたと同一化し、取り返しがつかないと思っていた出来事をよりよい解決に導いたり、懐かしい記憶を再体験することができます。ただし、安易な方法で解決を求めた結果、より悲惨な結果になる可能性もあります。
いずれにせよ、過去から現在に戻った結果、あなたは現実が何一つ変化していないことに気付くはずです。その結果、暗い気持ちになるかもしれません。けれどもいくらか、過去のつらい記憶を払拭できるかもしれません。
今回のシナリオでは、あなたが実際に経験していない過去に行くことはできません。
NPCについて
以下のキャラクターに登場の可能性があります。(行動を絡めたいかたは、彼らとはどういった関係かを書いていただけると助かります。初対面でももちろん絡めることはできます)
●野々 ののこ:行方不明になりました。洞窟のどこかにいるはずです。
●七夜 あおい:ののこの失踪に責任を感じており、誰にも告げず一人で洞窟まで来ました。
●詠 寛美:あおいと偶然遭遇したことから、彼女を助けるべく同行を申し出ます。(半ば勝手についてきます)
●海原 茂:ののこの件のメールを読んで、鷹取洋二に声をかけて飛び出してきました。あおいたちとは別行動です。
●鷹取 洋二:駄菓子の食べ比べをしていたところ、茂に無理矢理連れられてきました。状況はあまり把握していないようです。
●泰葉(やすは)(※未登録キャラクター):キャットロードのキャバクラで働くキャバ嬢です。『過去と向かい合う』というメッセージが気が気でなくなり、店を休んで出てきました。
それでは、次はリアクションでお目にかかりましょう。
桂木京介でした!