ねこ島温泉郷の五日間｜リアクション

ねこ島温泉郷の五日間

　冷えた爪先をお湯に差し入れる。
　じん、と痺れるような心地よい感覚に、宮祀智瑜は思わずくすり、笑った。広いばかりの露天風呂の空は見渡す限りの星空、星空の真ん中にはぽっかりと浮くまん丸の月。
(誰も居ないですよね……)
　男風呂と女風呂とを申し訳程度に分ける低い竹垣を見遣る。向こう側に人の気配はしない。湯煙漂う女風呂にも、人影は見えない。
(独り占めです)
　肩までつかる。ふわりと寄せる暖かな湯気に微笑み、白濁した温泉を掌にすくって顔に掛ける。僅かにとろりとする温泉の湯は、肌にとても良さそうだ。
(猫さんたちの肉球もぷにぷにでした)
　世話をした猫たちの肉球の柔らかさと被毛の艶々っぷりを思い出し、自分の頬に触れる。毎晩浸かっていれば、子猫の肉球みたいな柔らかもち肌になれるだろうか。
　身体の芯まで温まる温泉の温かさにほっこりと溜息を零して、智瑜はプールのように広い露天風呂を見遣る。
(誰も居ないし)
　いいよね、と思わず石の底を蹴る。うつ伏せのまま湯の中を進んでから仰向けになり、ぷかり、浮く。そうしたところで、
「あらっ」
　温泉の入り口に響く上下左右の声を聞いた。慌てて体勢を整え、顔を赤くしてその場に正座するも、
「まあっ」
　喜々として入って来た左右は掛け湯をするなり湯舟に勢いよく飛び込んだ。温泉の飛沫を浴びてなんだか悪い顔をしたかと思うと、智瑜の隣まで潜水し、浮き上がる。智瑜に悪戯っぽく目くばせし、智瑜がしていたように仰向けに浮かぶ。
　ふふ、と楽し気に笑う左右に倣い、智瑜もまたあったかいお湯に仰向けに浮かんだ。
　ぷかり、ふたり浮かんで少女たちの見る月は、白く輝く静寂の月。

「……」
「……」
　少女たちの声を背に聞きながら、七峯亨は傍らの湯の中に座す御剣刀を見遣る。
　猫たちの狂騒から束の間逃れ、働き詰めの体をゆったりと静かに伸ばしているうち、傍らに疲れた顔の刀が立ち、同じく言葉も交わさず湯の中に身体を伸ばした。そうしているうち、隣の女湯から聞こえた少女たちの笑い声。
　亨の不穏な視線を感じたか、刀は背後の低く薄い竹垣へと視線を投げる。立ち上がって少し背伸びをすれば、もしくは隙間をそっと覗き込めば、易々と覗きが叶う。
　高校生な年頃なりに好色な男子ふたりは互いに互いを牽制しあうような視線を交わし、――ほぼ同時に視線を逸らす。

「あー気持ちいい……風呂は命の洗濯だな」
　刀が呟き、うっすらと赤い頬まで湯に顔を沈める。
「全くだ」
　亨が頷き、竹垣に背を向けたまま身体を伸ばす。
　明日になれば、猫たちを相手にまたあの狂騒が来る。英気を養うに越したことはない。
(あるいは)
　そろそろ解放となるやもしれぬ。そうであるならば、滅多とお目に掛かれぬ広々とした露天風呂でのひと時は最後のご褒美。
　覗きは覗きで男の浪漫には違いないが今はやめておこうと決め、男子ふたりは揃って月を仰ぐ。
　静かに輝く白銀の月を見上げて刀が思うのは、ずっと傍に居た日暮をこちらの世界に遣り、あの黄昏の世界で一人となった幼い姿の女のこと。
(カンナ)
　彼女を思い出したのは、猫たちが好き勝手に暴れる賑やかな空間で過ごしたからだろうか。
(あいつもここに居たらきっと楽しく過ごせたろうな)
　彼女との別れ際を思う。ヒトバシラの代わりとしたあの人形で、セカイは持ち堪えることが出来るのだろうか。彼女はまだ一人でがんばっているのだろうか。思い出してしまえば、彼女に対する心配は尽きない。
(ここから帰ったら)
　いつかの夜、こちらの世界で彼女と出会えたあの場所へ行ってみよう。三夜湖の畔に眠る、廃遊園地。寂しくもどこか不思議な雰囲気の漂うあの場所に立てば、
(案外向こうに行けるかもしれない――)

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