花の名は。｜リアクション

花の名は。

ふさわしい名前

　綺麗に切りそろえられた前髪の下から、理知的な柘榴の瞳が覗く。
　好奇心に満ち満ち、隠しきれない喜びの色がにじみ出ていた。

「すごいな……これまで色んな本を読んできたけど初めて見る花ばかりだ……」

　染井湊は花々をつぶさに観察し、かと思えば次の花へと目移りしていく。

「ふふ……事実は小説よりも奇なりってこういう事を言うんだろうね」

　これほどの種類の花が同時に咲くなど、自然界ではありえない。
　けれどありえない――そう思えば思うほど湊の胸は期待に膨らんだ。

（……ここでなら、この本の表紙に使われている花が分かるかもしれない）

　湊は腕の中の本に視線を移した。
　何度も開いた表紙はあちこち擦り切れていて、頁も薄く変色している。シンプルな装丁で、何かの植物をモチーフとした飾り枠だけが唯一の特徴だ。
　その植物が何かわからない。

（まあ、見つからないにしてもたまには本じゃなくて実物をゆっくり鑑賞するのもいいしね）

　肩の力を抜いて、湊はゆっくりと庭園を回った。
　けれど目に眩しい花々の中から目的のただ一つを探し出すのは、想像以上に疲労感を伴う作業だった。

「……それにしてもこれだけ種類もあると探すのも一苦労だ」

　湊が一休みしようとベンチに腰を下ろしたそのとき、頭上にぬっと影が差した。

「何を探していらっしゃるのかしら？」

　顔を上げて目に付いたのは、鮮烈な青と色彩を欠いた美貌。湊が見知らぬ女性に突然声を掛けられ戸惑っているうちに、彼女は湊が大事そうに抱えている本に目をつけた。

「尋ね人はそちらの装丁のお花？」
「……ええ、ずっと探しているんです」
「ふふ。でしたらこちらへ」

　湊は警戒しながらも、言われるがままその女性に付いていく。
　道中、彼女はルイマリ・アンティークと名乗り、目に付いた花の説明を絶え間なく口にしていた。
　他の花々を説明するのとなんら変わりない調子でルイマリは、

「それでこの花が『ソメイミナト』ですわ」

　と微笑んだ。

「……そんなまさか」

　その花は温室の入り口近くを飾り立てるように、咲いていた。無数に集まった桜によく似た形の小さな花たちは、うっすらと赤みを帯びたものの他に、白、青など個性豊かに胸を張っている。

「花言葉は期待、叶う夢――」

　花言葉の他にもルイマリは『ソメイミナト』についてつらつらと説明を続けていた。けれどそれらは湊の耳をすべりおち、ちっとも頭に入ってこない。

（あの人は知ってて僕にこの本を渡したのか……？）

　ずっと探していた花は、夢の詰まった希望の花だった。その上、湊と同じ名前を冠する花。

「ここにある花は……買えたりしますか？」
「もちろん。花は大切にしてくださる方のもとで、一番輝くんですもの」

　そう言ってルイマリはソメイミナトの――桜色というには赤みの強い――花を摘み取り、湊の左胸に飾った。

「ただし、お代は……そうね、絵でくださいな」

　歩き疲れた湊は今度こそベンチに腰を下ろした。疲労感の滲む肩から力を抜くと、手の中で花々の茎も柔らかく転がる。

「……頂いてしまった」

　結局この展覧会に持ち込まれたすべての色を一輪ずつ譲ってもらうことになった。対価として支払った絵にも全色をきちんと収めてきた。
　そうして得た花が手中にあるというのに、湊はいまだ実感がわかなかった。それは装丁と違って花々が鮮やかすぎるから、というのもあったのかもしれない。
　
（花は栞にして、またあの人に会えるまで持っておこう。いつか会えた時に栞を渡して、胸を張って夢を叶えたって言うために……）

「――」

　より濃くなった誓いを胸に、小説の一説を諳んじる。花に言って聞かせるように、穏やかに。たわやかに。