花の名は。｜リアクション

花の名は。

　愛らしく咲く満開のアカリの花も希望に満ちて綻ぶ蕾も、自分とは似て非なるものだ。
　人の目に触れることもなく花開くこともなく、枯れてしまう『アカリ』こそ来島アカリ、自身と重なる。

（……この気持ちもきっと咲かないままだ）

　ふと隣を盗み見れば、誇らしげに咲き誇る獅子目の花が目に入る。
　その姿は強く、気高く、美しく。非の打ちどころがないという言葉を痛感した。

（綺麗だな……。これが完璧っていうのか？）

　隣の気高い薔薇とも、アカリはまるで違った。

「お前が羨ましいよ」

　不意に飛び出した言葉を後悔する気力さえ、今の来島アカリにはなかった。
　まっすぐ注がれる獅子目悠月の視線が痛い。目を逸らしてしまいたいのに、その琥珀の瞳からどうしても逃れられなかった。

「俺は、お前の方が羨ましい」

　思いもよらない返事だった。むしろ呟きというべきか。それはアカリに向けられたものではなかったから。

（俺のことが羨ましいか……。それをお前が言うのか）

　なんて皮肉なのだろうか。驚きでも怒りでもない、虚しさばかりが胸に広がる。アカリはただ力なく笑みを浮かべるしかなかった。

「ないものねだり、なのかな。……それでも俺は、お前が羨ましくて仕方ない」

（お前みたいに才能も自信もあったなら、この想いもきっと）

　アカリが思いを寄せる先輩の姿がまなうらにふっと浮かび上がる。空想の中でも先輩の瞳に映るのはアカリではない。花が萎れるように、アカリの肩がしゅんと萎びる。

「ふん……そうか。俺が持っているものを自分にはないものだとお前が思うなら、お前も血が滲むほどの努力をすればいい。すべてをかけて足掻けばいい」

　悠月はいつも通り、満ち溢れる自信をアカリに突きつける。そして自分は血が滲むほど、そしてその血が乾いてまわりに見えなくなるほど努力をしたのだと平気で言ってのける。なんて男なのだろう。

「ああ、でも……そんな根性はお前にないか？」

　悠月はつまらなそうに吐き捨てると、しなやかな指を獅子目の花へ向けた。花弁に絡みつく蔦の太い棘が白い肌を傷つけても顔色一つ変えず、ただ柔らかな花弁だけを指の腹で愛でる。手指から血が滲み、手首をつうと一筋の紅血が伝い落ちた。それはまるで花から滴り落ちた体液のようにも見える。
　花からアカリへと移された視線は挑発するようで、悠月は艶然と微笑むと滴る雫を舌ですくった。
　やはり目は逸らせない。腹の底が煮え立った。

「んな訳ねーだろ、馬鹿。……俺の力で手に入るなら、努力だって何だってしてやるよ」

　アカリは熱に任せて噛み付きながらも、そんな自分を俯瞰するような冷静さで悠月を見つめる。

（……これが獅子目と俺の違い、獅子目の強さなのかな。諦めなければ、少しは俺も強くなれる？）

「ならせいぜい頑張って見せろ」
「言われなくたって」
「お前の事は気に食わないが、お前の演技は悪くないと思うぞ」
「あっそ。……俺も、お前の歌は嫌いじゃないぜ？」

　褒めているのか貶しているのか、いつもの口喧嘩をした後にどちらからともなく背を向ける。
　アカリは背後の気配を感じながらも、振り向くことなく歩みを進めた。
　そうして向かったのは、この展覧会の管理者ルイマリ・アンティークのもと。

「えっと……咲きかけの『アカリ』を……譲ってもらえませんか」
「まぁ、咲きかけのものがいいのですね！」
「はい。咲きかけのもので……」

　ルイマリは快諾し、アカリに蕾の膨らんだ鉢を譲ってくれた。
　この花を咲かせるのは難しいという。けれど。

（頑張れば、この想いも）

　この花も。

（いつか咲けるかもしれない……のかな）

　三宅葉月のスケッチブックの最初を飾った花は薔薇の花だった。
　蔦に囚われた真紅の薔薇と、のびのびと咲き誇る薄桃色の花が十九本描かれていた。