お絵かきの時間｜リアクション

お絵かきの時間

■グラフィカルな雲をして
　アンティークドールがスケッチブックを抱えて歩いていた。
　ように、見えた。
　三宅葉月の浮き世離れしたありさまが、この世ならざるものが彫刻した美術品を思わせるのだ。
　彼女はその宝石めいた瞳を動かして、三月の寝子島を歩いていた。
　日常を切り取るというのは、簡単なことじゃない。
　たとえば今見えている景色は、眼球を中心に視野角両目併せて約１３０度前後の物体を複数の光による反射現象を通して判別しているものである。
　しかもそこへ心理的な印象や視線移動による注意が加わることでひとつの景色は無限に近い変化をもたらす。
　……なんて、わざわざ理屈っぽく考えなくても、人の世の景色というものは天衣無縫変幻自在。
　人の手でそのまま切り出すことは、人類史が一万年を超えた今でさえまだ難しいとされている。
　だが。
　だがひとつだけ、心で感じた何かだけは切り出すことができた。
　紀元前から人類がもつ、アートというすべをもってのみ。
「…………」
　住宅街の隙間にできた人知れぬスペースにて。
　葉月は沈黙して、スケッチブックを開いた。
　ネコたちが日向にあつまって転がっている。ネコの集会というやつだ。
　スケッチブックにさらさらと描いたネコのぼんやりとしたシルエットはしかし、彼女がネコのありようをとらえて描き出した線の集合体である。
　いわば印象の呼吸。
　このネコはきっとこんな風にすごすだろう。こんな風に感じた。こんなことをしそうだと思った。そんな気持ちが線となり面となり、やがて画を作っていくのだ。

　葉月は星ヶ丘を抜け、寝子ヶ浜の海岸を歩いていた。
　波打ち際に目をやると、丸みを帯びた石に混じって半透明に光る石が見え隠れしていた。
　拾い上げてみるとシーグラスだ。俗に人魚の涙とも呼ばれる、小石同様角の取れて丸くなったガラス片のことである。
　ただ角の取れたガラスと言ってしまえばそれまでだ。
　しかし、海辺で拾ったこのさらさらとした、きらきらとしたなにかは、葉月の胸に一抹の物語を思わせた。
　スケッチブックを開き、色鉛筆を走らせる。
　人類が時として次元を超えた世界を描き出す、その瞬間である。

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