授業風景～１年１組の場合～｜リアクション

授業風景～１年１組の場合～

　時計を見ると、次の授業までもう五分もない。
「もう次始まっちゃうね。……じゃあ続きはランチの時にでも話すよ」
　一組の教室の前、八十八旗信彦は言いかけた提案を一旦引っ込めることにした。
（「お願い事」にはタイミングが肝心だからな……。ドタバタしながら告げるのもスマートじゃないし）
　彼の胸中のささやかな計算高さなど知る由もなく、瑠璃条ベガはその言葉に顔をぱっと明るくさせた。
「あっ、じゃあ今日もお昼一緒に食べるの？」
　嬉しそうな彼女の顔は実に可愛らしい。もちろんさ、とその笑顔に八十八旗は力強く頷いた。
「ただ、購買部のパンはすぐに売り切れちゃうからね。終わってすぐダッシュすることになるけど、いいかな？」
「うん、分かった！　じゃあそろそろ授業の準備するね」
　授業終わったら一組の前で待ち合わせ！　そう告げると、瑠璃条は手を振りながら教室に戻って行った。
　彼女に軽く手を上げて挨拶を返すと、八十八旗も自分のクラスに戻ろうと歩き始める。
（よし、この調子だ。ランチの時間になったら、ベガちーに毎日お弁当作ってもらうよう頼むんだ…！）
　ベガちーのお弁当、おいしいだろうな…。
　ついついぼうっと幸せな未来に思いを馳せていると、踵を返した弾みで誰かにぶつかった。
　小さく上がった悲鳴は男のものだった。
　一瞬遅れてバラバラと本か何かが落ちる音が聞こえる。ハッと現実に戻って顔をあげると、一組の鷺守昴が驚いたような表情で立っているのが見えた。
「あ、悪い。よそ見してたよ。……あーっ、本落としてしまったのか」
　謝罪すると、八十八旗は慌ててしゃがみこんで本を拾った。重厚なハードカバーの本はどれも随分と古ぼけている。図書館のタグが貼っていないことから、彼の私物なのだろうか。埃を軽く払って拾った本を差し出すと、鷺守はそこでようやく我に返ったように口を開いた。
「拾わせてしまってごめん。えーと……ありがとう」
　端正で落ち着いた雰囲気の彼は、しかし会話するのはあまり得意ではないようだった。戸惑うような鷺守にもう一度詫びたところで、授業開始のチャイムが鳴った。
「あ、やばっ！　授業始まっちゃうし、じゃあまた！」
　八十八旗のクラスは隣の２組である。鷺守に手を振ると、次の授業はなんだったかと必死に時間割を思い出しながら自分の教室に駆け込んだ。

　後ろ姿すら威勢の良い八十八旗を見送ると、鷺守も教室に入って自分の席に着いた。
（拾わせてしまったな、次からは気を付けないと……）
　抱えていた本を丁寧に机の中にしまう。
　古本屋で見つけた数冊の歴史書、いずれも今は絶版になってしまった貴重な本である。が、チェーンの古本屋の中には古書の価値が分かっていない店も多く、信じられないような安値で売っていたりもする。鷺守が机の中にしまった本も幸か不幸か安い値札を付けられ本棚に並んでいたため、半ば引き取るようにして買い取ったものだ。
　しまった本の代わりに英語の教科書を机に出したとき、ちょうど島岡雪乃先生が教室に入って来た。
　いつもチャイムが鳴ってから職員室を出るのか、島岡先生は開始時刻より少しだけ遅れて教室にやってくる。
　そのことを鋭く見越して、クラスのみんなはいつもギリギリまで遊んでいるのだ。
「はーい、みなさん席についてくださーい」
　先生の声は決して大きくはないけれど、なぜか耳に染み渡るような響きがある。
　全員が着席したのを確認すると、先生はにっこり笑って口を開いた。
「はい！　それでは今日の授業を始めます」

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