２月の★ハッピーバースデー｜リアクション

２月の★ハッピーバースデー

　苺のケーキには蝋燭が十三本。
　お母さんが用意してくれた誕生日の御馳走と、お父さんが用意してくれた誕生日プレゼント。
　誕生日おめでとうとお母さんが微笑む。
　おめでとう、とお父さんが頭を撫でてくれる。
「ありがとう」
　必死に口にした言葉は、ちゃんと言葉になっていただろうか。
　唇は、目は、笑えていただろうか。
(だって)
　お母さんもお父さんも、一生懸命笑おうとしている。
(だから、私も)
　笑わなくちゃならない。
　たとえ、いつも傍にいて一緒にありがとうを言っていた姉がもうどこにもいなくても。いつもはふたり並んで吹き消していた蝋燭を、十三歳になった今日はひとりで吹き消さなくてはならなくても。
(遥)
　十朱此方は傍らに居たはずの姉を呼ぶ。一緒に生まれて来て、一緒に齢を重ねて行くはずだった。なのに、
(私だけ齢をとる)
　死んでしまった姉はあの日から時間が止まっている。
　一息に吹き消せずに残った蝋燭の向こう、食卓の奥の棚に飾られた家族写真が見える。頬寄せ合った妹と、此方と同じ顔をして、姉の遥が笑っている。
　時間を止めたまま、微笑み続けている。
(私の時間だけ進んじゃう)
　理解してはいた。誕生日が近づいてくると意識する度、自身に言い聞かせ続けていた。それでも、実際に誕生日が来て齢をひとつ重ねてしまえば、姉が遠ざかった気がした。姉を裏切って自分だけむざむざと未来へ進もうとしているように思えた。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
　曖昧にでもどうにか浮かべられていた笑顔が凍り付く。暗く沈む心を悟られまいとして、此方は不意に立ち上がった。引き攣る唇の端を持ち上げる。
「ちょっと出てくるね」
　笑う。
　笑ったつもりで父と母に背を向ける。
　両親の顔は見られなかった。見る余裕もなく、家を出る。できるだけ何気なく、黄昏迫る冬の町を歩き出す。
　目的はなかった。
　ただ逃げたかった。姉を置き去りにして齢を重ねる自分自身から。
　空に躍る風が降り下りて来る。気紛れに舞い降りて気紛れに頬を撫で、再び空へと舞い上がる。風を追いかけるように歩いて歩いて、
　――白い息を吐き出す。
　茜に染まる道の先、亡姉の眠る墓地が見えて、此方は思わず自らを嗤った。数え切れぬほど通った路を辿り、姉の墓前にしゃがみこむ。
「ねぇ、遥」
　手を合わせる気にもなれず、ただ語り掛ける。
(私ね、十三歳になるよ)
　齢を重ねることが辛かった。苦しかった。だって遥が傍に居ない。ずっと傍に居ると思っていたのに。傍に居て欲しかったのに。
(どうして、どうして……)
　車が突っ込んできたあの日のあの瞬間、遥は此方を庇った。
　――生きて
　その一言だけを此方に遺し、一人で逝ってしまった。
　一人ぼっちで遺されて、でも、だからこそ姉の分まで生きようと思った。がんばろうと思った。ずっとずっと、がんばってきた。我慢し続けてきた。姉が生きてと言ったから。両親が心配するから。皆が心配するから、ずっと笑い続けて来た。元気だよと言い続けて来た。　
　でも、
(一人じゃ嫌だよ)
　誕生日に、自分だけが歳をとるという現実を突き付けられた。
「本当は、遥がいなきゃ嫌だよ」
　零れた苦しい息が悲鳴になった。ずっとずっと我慢してきた気持ちが溢れ出てしまった唇を咄嗟に顔ごと覆えば、堪えきれない涙が頬を幾つも伝って落ちた。
(私だけ歳をとっちゃうよ)
　姉から離れてしまう。
　姉が、もうどうしようもなく離れていってしまう。自分だけ歳を重ねて、重ねて行くうちに忘れてしまうかもしれない。こんなに鮮烈な喪失の痛みも。いつも傍にあった笑顔も、名を呼んでくれた声も、繋いだ手のぬくもりも。
　背筋が凍るほどの恐怖を覚えて、此方は泣く。
「遥、……遥ぁ……ッ」
　どれだけ呼んでも、どれだけ泣いても、返事はない。
　姉の声は、もう聞こえない。