冥界行き魔行列車の旅｜リアクション

冥界行き魔行列車の旅

【憧憬】

「あら。素敵な扇子ねぇ」
　椅子の対面に腰かけた、品の良い和装のおばあさんです。やわらかい物腰でそんな風に言われて、鴻上彰尋は何だか少し照れくさくて、
「ええと……ありがとうございます」
「どなたかの、形見の品。というところかしら」
「はい。祖父の持っていたもので……分かるんですか？」
「この列車に乗る人は、大抵そうだものね」
　良く見ると、おばあさんの背中には小さな、白い翼がありました。話を聞くに、今回で実に３回目の乗車なのだそうです。
　かたん。かたん。コープスタウン駅を出発した魔行列車は、遠い銀の空が照らす明かりも届かない、暗闇の中を走ります。

　祖父との思い出はいくつもあれど、やはり印象的なのは、あの着流し姿。雅な扇子をひらりとはためかせ、ぴしりと閉じる……そんな様に、彰尋は憧れました。加えて祖父は、風のように飄々として、まさしく伊達男といった性格や装いでありながら、その実内面には、まるで子供のように悪戯好きなところもありました。
　扇子は、そんな祖父を象徴する品であったように思います。元は彼の立った舞台の小道具でありながら、本物の能にも使えるほどに精巧な代物で、祖父がそれを広げるのは何とも絵になりました。彼が個人的にそれを買い取り自身の持ち物とした時など、あの度し難く悪辣な父にすら、何とも言えない複雑な表情を浮かべさせたものです……もっとも祖父は最初から、嫌がらせのつもりだったのでしょう。娘を奪い、孫である彰尋を邪険に扱う義理の息子を、彼はひどく嫌っていました。
（あの頃は……これが欲しくて欲しくて、たまらなかったな）
　祖父に憧れ、その持ち物にすら憧憬を抱き、幼い頃の彰尋は、幾度もねだったものでした。祖父の扇子は彰尋にとって、それほどに特別な意味を持つものだったのです。
（折れた扇子の代わりか？　って言われそうだけど……まぁ、あの頃は確かに、そうだったのかもしれない）
　拠り所を父母には求め難く、結果、彰尋は身近な祖父にそれを求めたのかもしれません。繋がりの証として、彼の持ち物を欲したのかもしれません。少なくとも、右も左も分からないあの頃は確かに、そうだったのでしょう。
（俺のお気に入りだから駄目だと言われても、何度も）
　けれど今なら、分かります。なぜ自分がそれほどに、扇子ひとつを欲しがったのか。形見分けの時、真っ先にそれを譲り受けたのか。
（……あんたのお気に入りだったから、だよ）

　流れる景色へぽつり、ぽつりと、淡くやわらかい光が混ざり始め。彰尋は目を惹かれて、首をもたげてそれを見つめます。
「ああ……提灯街道だわ。彼はいつも、このあたりに立っているの」
　おばあさんのそんな言葉も、どこか遠くに聞こえて。
　窓の外を流れてくるのはいくつもの、いくつもの、ぼんやりと灯る提灯でした。向こうの山裾には、うねりながら延々と連なる、赤い鳥居の列も見えます。
（……、あ……）
　祖父は、提灯の揺れる枯れ木の幹に寄りかかり、彰尋を見返していました。颯爽と着こなす着流しのたもとを、緩い風に揺らしながら。
　扇子を広げて。
（……分かるよ。今なら。あんたがこれを、気に入ってた理由。何となく……ね）
　加えて、あの父も欲しがるような品を彰尋が今手にしていることは、ちょっとした意趣返しにもなるでしょう。一瞬のことながら、祖父は、笑っていたように見えました。彰尋の広げた扇子を見て、にやりと。思い出の中のまま、あの悪戯っぽい笑顔で。
　ふと見ると、おばあさんも窓の外を見つめ、うっすらと笑んでいて。その目元へ刻まれた深いしわに、彰尋は何だか良い気分で、シートへ深く腰を埋めました。

このページにイラストを設定する