モノクロームと老婦人｜リアクション

モノクロームと老婦人

▼奔走する人々

　八神修と霧生深雪は、連れ立って歩いていた。
　二人は星ヶ丘寮で家（居室）が隣り合っており、深雪が弾くピアノの音が修の勉強中のBGMとなるのは、もはや日常となっていた。
　今日、二人は修が飼育しているペット達のために、新鮮な魚を購入したところだった。

　そこで世界がモノクロームに変わった。
「なんだ？　いきなり真っ暗、というか、色が。これもろっこんの仕業ってやつなのかね？」
　戸惑う深雪に、修は「テオが世界を切り分けたのだろう」と告げた。
「テオ？」
「ああ、神魂が絡む厄介な事件が起こって、影響が大きくなると判断すると、こうして元の世界から、俺達が今いるような別の空間に、ろっこんで世界を切り分ける。落神の一柱だよ」
「なるほど。確かにテオって線が濃いな……で、八神。今、何が起こってるっていうんだ？」
　深雪は目を細め耳に神経を集中するが、シーンと静まり返っているだけだ。
「それは俺にもわからない。ただテオに言いたい事もあったし、探して聞いてみるか」
「そうか。まあ俺も、特にすることもなかったし丁度いいな。
　もれいびになったはいいが、まだテオにも会ったことなかったしなぁ」
「じゃあまず、見晴らしの良い所から探すか」

　そんなわけで。
　九夜山の展望台にのぼり、望遠鏡で島を一望してみたわけであるが……。
「テオって、猫だったよな？　俯瞰じゃ遮蔽物が多くて、逆に探しづらくないか？」
　深雪の言う事は、もっともだ。
　現在、切り分けられている生物は、自分達以外にはないから、ここにいる猫であればテオなのだろうが。
「別の方法を考えるか……」
　思案する修をよそに、深雪は切り分けられた世界を見下ろして、自身の考えに浸る。

　モノクロの世界か。
　写真じゃよく見るが、こうして自分が中に入るとおかしなもんだな。
　……もし世界が二色しかなかったら、争いも減ったのかもしれない。
　でもそうだとしても、俺はそんな世界はいらない。
　音に色を付けられない世界なんて、つまらないしな。

（……ポエマーか俺は！？　恥ずッ！）
　深雪が我に返った。
　オカエリ。

「ところで」
　下りのロープウェイに乗り込んで、修が話を振った。
「　っ！！　なんだ？」
「あ、いや。霧生の名前、深雪っていい名前だなと思って。由来を聞いていいか？」
　一つ年下の修が涼しげな、けれど興味津々といった眼差しを、深雪に向けている。
「……意味は、雪の日に生まれたから深雪だってよ。単純だろ？
　女の名前みたいだってからかう奴らもいるけどな」
　ゴンドラの中、窓枠に囲まれた景色が流れ始めた。

「でも本当は、気に入ってるんだ。親から貰った大事な名前だしな。
　だから名前が嫌なわけじゃない。そういう、からかってくる奴らが嫌なんだ」
「『深雪』って、趣があって良い名前じゃないか」
　しみじみと言った修は、まだ深雪から視線を外していない。
　瞳の中に嘘は見当たらない。
「じゃあ、それで呼べ。悪意が無ければ、名前で呼んでいい。
　そ、その代わり、俺も下の名前で呼ばせてもらうからな！　……お、修ってよ」
　早口に言い捨てた深雪が、ぷいと横を向く。
「もしかして照れてるのか？」
　修が、軽く笑い声を漏らす。
　深雪は何も言い返さなかった。

　そして。
　テオを呼ぶため、と修が付近の民家から拝借してきた卓上コンロ。
　風上を選んで、持っていたサンマと鰯を炙ってみたが、別世界にまで匂いが届く事はなく。
　テオがやって来る事は、なかった。