寝子島グレートレース｜リアクション

寝子島グレートレース

　朝靄に煙る星ヶ丘。その一角にオークレイ牧場があった。規模は小さいが動物に触れ合える点を評価されて多くの島民が足を運んでいた。
　牧場では鎌八まもるが作業着姿で早々と労働に勤しんでいた。一通りの掃除が終わり、青い空に向かって大きな伸びをする。
「あっちはどうかな」
　被っていたカウボーイハットの鍔を人差し指で押し上げた。弾むような足取りで厩舎に入っていった。
　中は飼葉を食む音に満たされている。清掃時間を経て牛や馬が朝食に有り付いていた。
「いい食べっぷりだ」
　黙々と食べる牛馬に優しげな笑みを向ける。一頭の馬はまもるを目にした途端、顔を近づけてきた。
「やあ、シルバー。今日も綺麗だね」
　首の辺りを摩ってやると頭を上下させていなないた。まもるは、よしよし、と口にしながら肩の辺りを軽い調子で叩いた。
　その状態で馬体に目を注ぐ。
　――オーナーのブラッシングは完璧だな。高貴な光に包まれて、まるで上質な絹を見ているようだ。
　ふと視線を他に移した。
　――我が愛馬、アンバー姫のご機嫌はどうかな。
　期待と不安が入り混じった表情で足を急がせる。
　月毛の馬、アンバーがいた。まもるを見た瞬間、足を踏み鳴らす。馬体を左右に揺らして耳を伏せた。
　露骨な嫌悪の動作に笑みが浮かぶ。
　――うん、いつも通り。
　表情で笑いながらも緩やかな溜息を吐いた。

　まもるは腹を満たしたアンバーを連れて厩舎の外に出た。数歩は従ったものの、唐突に駆け出した。挑発するような動作で遠ざかる。
「いいぜ。その挑戦、受けてやるよ」
　カウボーイハットを取って近くの柵に引っ掛けた。目はアンバーの動きを捉えて離さない。
　機を窺うようにして、まもるは走り出す。大回りする相手に直線で挑んだ。
「オレの勝ちだ！」
　アンバーの腹部に思い切って手を伸ばす。指先が触れる寸前で躱された。一気に加速したのだった。
　しかし、まもるの目が引き離されることはない。切れのある動きで曲がって猛追した。アンバーの揺れる尻尾を目にして、ふと表情が和らぐ。
　――あの揺れるポニテがたまらない。追い掛けるのは楽しいもんだ。
　ま、オレが単純に走ることが好きだってのもあるけどな。
　アンバーの速度が少し落ちてきた。必然的に距離が縮まる。
　その時、横手からまもるを呼ぶ声がした。目をやるとオーナーであった。穏やかな笑みの中に少しの厳しさを滲ませている。
　――どうしたんだ？
　違和感を覚えたまもるの耳に英語が飛び込んできた。その意味に考え込むような表情となった。
　――追い掛けるのはいいし、スキンシップも構わない。でも近づきすぎてはダメって。離れて全体を見ることに何か関係があるのか？
　意図がわからないながらも、まもるは速度を落とした。先を行くアンバーの全身をじっと見詰める。前脚の動きに目が留まった。
　――動きがおかしい。庇っているように見える。
　オーナーの方に振り返ると、柔和な顔で頷いていた。
「わかったよ」
　まもるは笑顔で軽く手を振る。再びアンバーに真剣な目を向けた。
　――あんな小さな変化を一瞬で見抜いたのか。さすがだな、オーナー。それに比べてオレってヤツは。
　その場にしゃがんで地面を殴る。拳の皮が剥けて赤くなった。
「この痛み、忘れない」
　立ち上がってアンバーを見据える。動きは更に鈍くなっていた。
　――これ以上、走らせてはダメだ。軽い挫跖も考えられる。
「オレが絶対に止めてやる」
　その覚悟は走りに表れた。動体視力を最大限に活用して最速の走りを見せた。アンバーは抵抗の間もなく、頸部を抱き締められて止まった。
　落ち着かせる為に優しく語り掛ける。
「ごめんな。脚の状態に気付いてやれなくて」
　アンバーは尻尾を高く上げた。好意の行動にまもるは、ありがとう、と呟いて掛け値なしの笑顔を見せた。

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