鬼は外、福は内、寝子島の節分祭｜リアクション

鬼は外、福は内、寝子島の節分祭

　時はまた少し戻り、寝子島総合病院の外来。

「はい、次は再来週ですねー。お大事にしてくださいね」
　ぽん、と馴染みのおじいさんの肩を叩いてお見送りをしたところで、午前の外来が終わったと告げられた深倉理紗子は、見送ったおじいさんの言葉を口に出す。
「……鬼は外……か。今日ぐらいは病とは無縁だといいのにね」

　節分祭りの日であろうとも、たとえそれが土日であろうとも、働いている人は当たり前だがいくらでもいる。そんな一日を過ごしているのが、ここにも一人。いわゆる月月火水木金金な病院勤務医にとって節分祭とはとんと縁がない日々であった。

　朝の6時に出勤してはカンファレンス、病棟の見回りが終わったと思えば、救急外来に呼び出される。ようやく一息ついたら、ナースからPHSに電話が入って気づけば日付も変わっている――昨年、そんな過労で倒れた彼女だったが、一か月の療養の後、相変わらずの通常勤務を送っていた。
　普段午後まで長引くことの多い外来だが、祭りのせいだろうか、午前中で客、もとい患者がいなくなっている。余裕をもって昼食が食べられるのはいいわよね、と一人ごちながら、出勤がてらに買ってきた恵方巻と、年の数の炒り豆、そしてお茶。
　つつましやかだが、きちんと年の数だけ、29粒数えて出したところで、一つため息が漏れ出てしまう。
　それは30を前にした絶望ではない。相変わらず、時折ぶり返す想いが、襲ってきたからだ。

　年齢だけは、こんなに数えてしまったわね。
　ポリポリと豆を口に放り込みながら、心中で呟く理紗子。
　年齢ばかりが姉を越えて、中身はいつまでも変わらない――他の人にはきっと何でもないようなことに、戸惑い、怖気づき、動揺する。
　些細なことに傷ついて――躊躇う。本当に、何も変わっていない。変われて、いない。

「先生、そろそろ時間ですよー」
　すぐ近くでカルテの整理をしていた看護師が、時間を告げてくる。はっ、と物思いにふけっていた自分に気付き、頭を振って現実へと戻れるよう努力した。
「はぁい。安藤さん、あとよろしくお願いします」
「おまっかっせー。そうそう、小児病棟の師長が、ちょっと寄っていきなさいって言ってましたよ」
　なんだろうか。
「あの人に呼ばれるとなんだか怖いわ」
「気持ちはわかりますけどね」
　ひらひらと手を振られ、病棟へ向かう。受け持ちの患者のところへ行く前に、寄ることとしよう。
　そう考えて病棟を訪れた理紗子がその扉を開けた瞬間――無邪気な声が、響いた。

「鬼はーそとー！」
「ふーくはーうちー！」
　同時に、襲い掛かる無邪気な豆たち。
　二、三度瞬きをした後状況を悟った理紗子が、「さけんじゃだめでしょー！」とわざと怒って見せる。
　それすらも楽しむ子供たちが、「きゃー！」と叫んで楽しそうに駆け出すのを、「こぉら！　廊下を走るんじゃないですよ！」と野太い声で師長が怒っていた。

　気づけば、笑っていた。
　こういうことがあると、何となく、頑張っていこうという気持ちになるものだなぁ――そう想い、理紗子は窓の外の明るい空へ、視線を向けた。
「いい天気だわ」
　祭会場も、こんな楽しさに包まれているのだろうか。