【知略】

「札束、飛ばせばいいんじゃねー？」
　この間映画で見たんだよなー、と軽い調子で、卯木 衛は言う。
　お人好しが過ぎる何でも屋は、今回もまた報酬の取り分について主張するのも二の次に、協力を快諾した。身体能力、ことに脚力に優れた卯木の身軽さは、これから大胆不敵な盗みを働こうという泥棒たちにとって大いに助けとなるだろう。
「こう、気圧差を利用して、通気口から吸い上げてさ。カジノ中に、ドバーッて！　あ、もちろん竜次さん次第だけど。お金と復讐、どっちが優先？」
　親しげに問われて、依頼人、泉 竜次は肩をすくめる。
「ヤツの面子を潰して、ムショ帰りの哀れな老人が不自由なく暮らしていけるだけのおこぼれがもらえれば、あとの金は好きにするがいいさ」
「なら、それでいこうぜ。フロアが混乱すれば、脱出も容易いだろ」
　うなずいたアキは、泥棒たちとは少々異なる事情でこの場にいる。
（女装してカジノに潜入しろ、だなんて……仕事はこなすけど、さ）
　端正かつ中性的な面立ちは、性別不詳。得意なのは演技と、手先の器用さ……とある組織の有能なエージェントではあるが、上司から下された指令がいかに理不尽であろうとも拒むことができないのは、少々辛いところだ。
「……面白い案だが、事はそう簡単じゃない」
　怪盗たる八神 修は、独自に黒崎の足取りを追う中、変装と偽名を用いて別人に成りすまし、カジノの警備員として潜入。内部の調査を続けている。その縁もあって今回の件に携わることとなったが、
「これを見ろ」
　しかし、彼の口振りは険しい。卓のＰＣを操作し、壁にかかった大型モニタへと映し出した図面をあごで示す。
「昔のスパイ映画や泥棒ものならともかく、現代の金庫には、防犯上の観点から通気口の類は取り付けられていないんだ」
　彼が調べ上げた『カジノ・オーシャン』の見取り図、地下金庫には確かに、札束を通せるような隙間はひとつとて描かれてはいなかった。
「それ以前に、施設内の空調システム程度で、札を根こそぎ吸い上げるような気圧差やパワーは得られない。物理的に不可能だろう……代わりに煙や、胡椒などの粉塵を撒くのはどうだ？　それでも、強奪を可能にするくらいの混乱は起こせるだろう」
「胡椒かぁ、うーん。それでもいーけど、ちょっと地味じゃねーか？　どうせ竜次さんの復讐を果たすんなら、ド派手にいきたいよなー」
　卯木は腕組み、考え込みながら唸る。
　どちらの主張ももっともであり、彼らはしばし事の考察と、選択すべき作戦の検討に明け暮れた。



　泉が不意に、言った。
「君は、機械に強いそうだが」
　指差した先に立っていたのは、裏社会でも名うてのハッカー。八神の旧知でもある、ヤーガだった。少年の装いを纏う少女はうなずいて、
「僕かい？　まあね、ハッキングの足掛かりにメカを使ったりするし」
「なるほど、結構。それに……レイ。君は特殊な機材や物資の調達について、ツテがあるんだったな？」
　刑務所から泉を連れ出すさなかに、互いの身の上についてもいくらか情報を交換していたのだろう。ホログラム映像の出力装置を弄繰り回し、何やら半裸の女性が官能的なポージングで微笑む、いかがわしい映像を空中に再生していたレイへ問うと、
「ああ。何が入用だ？」
　確かに彼の扱う武器の道具の類は、他ではお目にかかれないような特注品であるようだ。
　うなずいた泉は、口元に節くれだった手を添え、思案。やがて口を開き、ぱちりと軽快に指を鳴らした。
「……軸流コンプレッサーを使おう」
　詐欺師の考案した手法は、こうだ。
　カジノの地下金庫には八神の指摘する通り、通気口は無い。そこで金庫の大扉をあえて開放し、金庫室の手前に位置する前室の入り口を密閉。前室の通気口を吸い上げ口として利用する。梱包されている札束は、あらかじめ適当に解体しておく。
　軸流式圧縮機は、取り入れた空気を効率的に圧縮し、大出力の排気を生み出す。用途は広く、航空機用のジェットエンジンにも利用されている。航空業界の人間を騙した経験からの知識だという泉の説明によれば、つまりは地下金庫の前室からカジノフロアへ続く通気口の出口のいくつかを封鎖し、ルートを限定した上でコンプレッサーにより大量の空気を送り込み、札をその流れに乗せて運ぶ。そういう筋書きだ。
　事の次第を吟味したヤーガは、
「ふうん……なるほどね。設計図と部品さえあれば、今回の作戦に適したサイズで作ることはできるよ」
　そう断言し、レイも首肯。
「そいつはオレが用意してやれるだろう。手配すれば、すぐにも届くはずだ」
　泉は八神へ、あごをしゃくり返答を促す。彼はしばし、脳裏へ様々に思考を巡らせていたようだったが、やがて、
「可能かもな。理論上は……しかし問題はまだある、軸流式は遠心式に比べて大きなパワーが得られるが、小型化が難しい。相棒がいかに天才だからといって、全く人目に付かないほどのサイズにすることは不可能だ。そんな大きな機械を、どうやってカジノ内へ持ち込むつもり……ああいや、待ってくれ。みなまで言うな」
　に、と口元を緩めた。
「分かった。そこで彼女の出番、というわけだな？」
　八神の目線に釣られる形で集まった視線を受け、壁を背にしたセミロングの少女、深雪は静かに顔を上げた。きつく閉じられていた口をにわかに開き、ぽつりと述べる。
「……確かに。私なら、清掃用の機材だと偽れば、多少大きな機材でも持ち込める」
　彼女もまた、とある組織のエージェントを名乗った。既に施設内の清掃スタッフとして潜入しており、泥棒らへもたらされた内部情報の何割かは、彼女からのものだ。
「でも、いつもと違う機材を持ち込んだら、怪しまれるかもしれない……何らかの陽動は必要よ」
「それは、私が引き受けるわ」
　名乗りを上げた城山 水樹は、何かとクロサキ機関に縁があるようだ。父の仇へ制裁を加え、その雇い主であった黒崎へ少なからずの損害を与えてなお、彼女は再び安穏とした日常へ帰ることを良しとしなかった。
「私がフロアで、ちょっと荒稼ぎをさせてもらう。少しでもお金を引き出せれば良し、見つかって騒ぎになるも良し。もちろん、負けるつもりは無いけどね」
　水樹のしなやかな手へ唐突に、するりとスペードのジャックが現れる。カードさばきは実に、玄人はだしであるようだ。
　大筋において、各人の役割は定まりつつあった。
「じゃ、通気口は俺の担当だな！」
　小柄で身軽な卯木が、通気口のいくつかを封鎖しルートを構築、カジノフロアの排出口を開くために爆薬を仕掛ける。
　ヤーガは各種メカやコンプレッサーを含む機材を制作した上で、セキュリティフロアのネットワークをハッキング、掌握しコントロールする。そのために必要なアカウントやパスワードは、潜入中の八神が手に入れる手はずだ。
　城山がカジノフロアで陽動を兼ねたギャンブルに挑んでいる隙に、深雪は清掃用具とコンプレッサーを持ち込む。加えて腕の立つ彼女は、前室の入り口に陣取り、警備兵の侵入を留める役割も担う。
　横合いから、はあ、とため息。
「その計画だと、海原のカードキーがいるな……」
　アキの見目麗しい容姿は、確かに、オーナーに対して有利に働くだろう。
「やりたかねーけど、仕事だからな……俺が色仕掛けで、カードを手に入れる」
「……付き合うぜ」
　そう言ったレイの物資調達能力は、確かなようだ……彼の手にはカジノに付きものの、バニーガールの衣装が二着分。
「男のバニーが色仕掛けか、こいつは楽しくなってきたな？」
　泉がぱんと膝を叩き、可笑しそうに笑う。老体ではあるが、痩せぎすな彼の体躯に活力は満ち、表情は事のほか明るい。もっとも泥棒たちもまた、多くは余裕の笑みを浮かべていた。
　待ち受けているのは、困難で険しい仕事ではない。それは彼らにとって何にも代えがたい、望むべくして享受するスリルなのだから。