『戦慄！　謎のサラリーマンと、恐怖の死亡申告書！』（９）

　銃声、たったひとつきり。それだけで拠り所の全てを失った男は、力なく膝から崩れ落ちました。
「鳥たちの領域を汚したことは、これでチャラにしてあげる……ふふ」
　笑う大天使 天吏が撃ち抜いたのは、男が抱えた書類の束。『死因：大型トラックとの正面衝突』。『死因：高層ビルからの転落死』。『死因：突然の心臓麻痺』。そんな文面と無数の名前が踊る紙の束は、中央に貫通した穴によって、もはや役割を果たしはしないでしょう。その証拠にか、喪服めいた黒スーツのサラリーマンは、落ち窪んで光の見えない瞳で彼らを見上げ、ぽつりとつぶやきます。
「……なぜですか……なぜ、権利を放棄するんです……これは皆さんにとっての、救いなんですよ……ほら、見て下さい、彼女を……あんなにも、穏やかな顔をしてるじゃないですか……」
　ハチの巣になり事切れている朝鳥 さゆるは確かに、いつもの冷静な仮面を脱ぎ去り、口元に緩く笑みを浮かべているようにも見えました。申告書は、彼女を救ったのでしょうか。どうしようもなく心に沈殿した絶望から、彼女をいくらか、救い上げる結果となったのでしょうか。
　けれど、
「それは、違うッ！」
　恵御納 久隆は、断じます。彼はスーツの上着を脱いでさゆるにかけ、薄く開いたままのまぶたを大きな手のひらで優しく閉じてやると、
「……もし私が、あの申告書通りに死んだとしたら。私は、君を恨むだろう。私だけではない、苦しみの中死んだのは申告書と、それを配るあの男のせいだ……そう罵る者もあるだろう」
「え……なぜですか……死ぬことは、救いです……生きることは、苦痛です……街を歩く人々の顔を見れば、分かる……僕と同じように、みんな、疲れているんです……望んでいるはずなんです……」
　手渡される書類は、『申告書』。本来、それは受け取った人が自ら、望んで書き入れるものであったのかもしれません。けれどこの場に顔を揃えた彼らも、受け取った人々も、自分の死因を進んで記入した覚えなど無いでしょう。全てはこの男の、行き過ぎたお節介がためであったのでしょうか。
　水面にでも落下したのか、びしょ濡れのまま即席パラシュートをがしゃりと外した桃川 圭花も、挑発的な笑みとともに、
「少なくともね、誰かに運命を決められてるなんて、私はまっぴらゴメン。ま、そーいうのを無理矢理にねじ伏せて、思い通りに変えてやるってのも、悪くは無いけどね？」
　仁王立ちでレインボー褌を見せつける冴木 竜司も、あちこちに負った傷の痛みも構わずふわとあくびを漏らした志波 拓郎も、
「まゆ先生がサメに食われて死ぬ運命なんて、俺が許すわけないだろッ！！」
「悪趣味です……よ、こんなの。そりゃ、死にたい人、も……いるかも、しれないけど。自分は……お断り、です」
　誰もが、死の局面をつぶさに見せつけられてなお、生きる理由を見失わずにいます。彼らは死を拒み、乗り越え、ここに立っているのです。それこそが、男の言葉に対する、他ならぬ否定の意思の証明と言えました。
「……そんな……そんな……だって、僕は……救いだと……これが、ただひとつの……」
「君は……生を望む者にまで、死の苦痛を与えている」
　諭すように。声色低く、久隆は男の肩をつかんで真っ直ぐに、光の無い彼の瞳を覗き込み、
「死亡申告書を手渡すことは、間接的に相手を殺しているのと同義だ。誰もが、死にたくは無かっただろう……無念。恨みつらみ。救われない魂が多くあったことだろう。君はそれでも、渡し続けるというのかね？　こんなものを……！」
　告げました。彼が今後、人を正しく導き癒す、そんな道へとたどり着けるようにと……願いを込めて。



「僕は……間違っていたのか……今まで、僕は……何を……」
　こつこつと響く靴音は、どこかしょぼくれて力なく。男は穴の開いた紙束を抱えて、夜の道を重い足取りで歩きます。
「いいや。あんたは間違ってないさ、なんにもね！」
　不意に、暗がりの中から聞こえた声。
　ぬるりと。彼女は、再び男の前へと姿を現しました。
「……あなたも……拒んだんですか……死ぬことを……救いを……」
「まあね。まったく、どいつもこいつも、聞き訳が悪くていけないよ。はァやれやれ」
　つまらなさそうに言ってごき、ごきりと首を鳴らした、桜崎 巴。時代錯誤なロングスカートのセーラー服は、あちこちにこびりついた赤黒い染みで汚れているものの、それは彼女自身の身体から噴き出したものではなく、別の誰かのものであるようです。それもひとりではなく、大勢の。
　べったりとして赤くぬめるバットを肩に担いで、巴は何枚もの血に汚れた書類を、ひょいと夜の路地へ投げ捨てました。彼女は、どれほどの死の運命を、力づくで跳ね退けてきたのでしょう。
　巴はもちろんそれを語らず、代わりにつかつかと男へ歩み寄ると、超然とした……嘲りのようにも見える笑みを浮かべます。
「あんたは間違っちゃいないよ。言うとおりさ、誰もがあくせくと生き急ぐことを強いられ、まるで人は歯車との境目を失っちまったかのようだ。こんな現代社会に生きる人類にゃ、確かに、休息が必要ってもんだ。そうだろう？」
　取り出したシガレットチョコをくわえ、唇でゆらゆらと揺らして見せながら、
「だが、困ったね」
「……！？　……！？」
　がん、がん。二発。巴はバットをごく無造作な動きで、男の頭へと叩きつけました。
「ぐ……な、何を……するんですか……」
「あんたは立派さ、他人のためにそこまで仕事に邁進できる輩なんざ、そうはいない……だがね、だからこそ。そう言うあんた自身が、ちっとも休まってない」
　がん。がん。がん。肩を。脇腹を、頭を。巴は躊躇いも無く、叩き込みます。打ち据えます。硬質な金属バットを、彼女の生を阻む誰かへもそうしてきたように、幾度となく。何度でも。
　がん。がん。がん。がん。
「……や、め……やめて……ください……僕は、こんな……ちがう、僕は……」
　頭をかばい、掲げた手がごしゃ、とひしゃげて。腕や脚があらぬ方向へと曲がっても。舞い散る赤い飛沫の噴出口めがけて、何度でも。何度でも。
「どうして……なぜ、ですか……僕を……なぜ……」
「なぜ？　あんたと同じことをしてるだけじゃないか、あたしは。望んでるんだろう？　疲れてるんだろう？　そう言ってたじゃないか、なあ、あんた」
　がん。がん。がん。がん。がん。がん。がん。がん。
「そうやって、殺してきたんだろう？　同じ手口でさ。ええ、そうなんだろう？　何人が、死にたくないと叫んだろうね。何人が、まだ生きたいと泣いただろうね。女の子もいただろうさ。じいさんやばあさんもいただろうさ。あんたと同じくらいの男もいたろうね。あんた、そいつらの顔を少しでも、覚えてるのかい？」
　ぱしゃ、と散った雫で、赤く汚れた申告書。穴が開いた紙切れの一枚。『死因：書類の不備に憤った申告者による報復、金属バットによる殴打に伴う頭蓋内出血』。
「おーや？　書類が汚れちまったね。ま、今さらもう関係ないだろ？」
　がん！　と、全力で振り抜いた一撃。その頃には男はとうに、口を開くのをやめていました。
　巴は、皮肉たっぷりに。

「ああ……これで働き者のあんたも、休暇が取れるだろ」

＜『戦慄！　謎のサラリーマンと、恐怖の死亡申告書！』　終＞

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