不運はひっそりと忍び寄る｜リアクション

不運はひっそりと忍び寄る

　灰色の雲から絶え間なく小雨が降り続いている。三年二組の教室は放課後を迎えて、がらんとしていた。
　仙藤紫は一人、頬杖を突いて窓の外を眺めていた。
　――急ぐ用はないけれど。
　気だるげに席を立つと紫は教室を後にした。
　見知った顔に出会うことなく、下駄箱までやってきた。上履きを靴に履き替えて傘立てへと向かう。収められていた傘の一本に手を伸ばし、眉根を寄せた。柄の色は似ていたが、自分の傘では無かった。
　残りの傘を一瞥して軽く溜息を吐いた。
　――私の傘が無いわ。誰かが間違えて持っていってしまったのか。それとも……。
　紫は頭を左右に振った。
「雨の日は考えも湿っぽくなるわね」
　雨の降り方は酷くない。時間の経過で天候は回復するかもしれない。紫は上履きに戻して北校舎に繋がっている渡り廊下を歩いた。

　図書室には数人の生徒がいた。受験に関した本を開いてノートに忙しなく書き込んでいる。紫はどこか羨むような目をした。
　――ＡＯ入試に合格してなかったら、私もがんばって受験生をしていたのにね。
　勉強に励む姿を見ていると、机上に置かれた一冊の本が目に付いた。手前の椅子は机の方に押し込まれていた。
　本のタイトルが気に入ったのか。紫は手前の椅子を引いた。その上に乗っていたアベンチュリンの色合いの球体が転がり始める。落ちる寸前で掌を被せた。
　何事もなかったように椅子に座る。
　――天然の石みたいね。触るとひんやりして肌触りは悪くないわ。誰かの落し物？
　掌で石を転がしながら本を開く。ぼんやりとした目で文字を追った。
　――去年の夏に木天蓼大学の合格が決まって、プレッシャーから解放されたわ。身も心も軽くなって学校生活を送ってきたはずなのに。
　今日の天気みたいに、すっきりしない。心に靄が掛かって、言い知れない不安を感じるわ。
　本の頁を捲った。飛ばし読みをする早さで頁を繰り、最後に音を立てて閉じた。周囲にいた生徒の肩が不自然に上がる。
　紫は本を手に席を立った。大股で本棚に直行した。
「どこかしら……」
　本の背表紙をつらつらと見ていく。最上段の空いたところに行き着いた。長身の紫が手を伸ばしても届かなかった。
　――出入口の近くに脚立があったわね。
　足早に脚立を取りに行く。肩に階段の一部を乗せて戻ると早々と開いた。留め金で固定して一方の階段を上がる。
　――なんで私がこんなことを。
　心の苛立ちのまま、本を空いたところに突っ込んだ。反動で脚立が斜めに傾いた。慌てた両手が至るところの本を掴んでは落とした。何冊かの犠牲によって体勢を立て直すことができた。
　咎めるような視線の中、紫は落ちた本を素早く拾い集めて元の場所に戻した。脚立は壁に立て掛けて、失礼しました、と頭を下げた状態でドアを閉めた。
　火照った顔で階段を速やかに下りていく。南校舎に向かう渡り廊下では完全に走っていた。
　――今日の私はどうかしてるわ。
　下駄箱に戻ってきた。雨は止んでいるようだった。灰色の空の一部が割れて光の筋が幾本も見える。
　ほっとした顔で紫は校舎の外に出た。