不運はひっそりと忍び寄る｜リアクション

不運はひっそりと忍び寄る

　黒い雲が空を覆う。徐々に悪化する天候に旧市街の人々の動きが忙しない。
　その中、銀色のツインテールを弾ませて斉田珠喪が通りを歩く。勝ち気な表情に焦りは微塵も見られない。黒いコートは光沢があり、洒落た雨合羽のようであった。
「一雨くるかのう」
　古めかしい言葉遣いに周囲の人々の視線が集まる。本人は受け流しているのか。歴史を感じさせる家屋に興味深い目を向けていた。
　その行動が一転、珠喪は車道に目を落とす。そろそろと歩いて道端にしゃがんだ。視線の先に淡い紫色をした球体が転がっていた。
　そっと指で摘まみ上げる。
「なんじゃ、この流れ込むような感情は――違うのう。これは、そう」
　珠喪は瞼を閉じた。内面に目を向ける。
　――内側から溢れてくるのじゃ。おお、なんと禍々しい感情じゃ。強烈な負の奔流に心が黒く染まってゆくぞよ。
　なんと、なんと、心地良い憎悪なのじゃろう。
　身体が小刻みに震えた。口の端が堪らずに笑みを作った。
　珠喪は目を開けて立ち上がる。周囲の人々に冷めた双眸を向けた。口元の笑みが深くなる。
　――この感覚は、本土の、中学時代の感覚じゃ。周りの人間が、人の形をした物に、とても軽い存在に見えるぞよ。例えるならば。
　茶色い瞳が路上に向かう。隅の方を探した。見つけた綿ゴミに目を輝かせた。
　――あれじゃ。あのゴミと人が同等に思えるのじゃ。なんと尊大で、傲慢なのじゃ。禁忌として見られていた当時が蘇ってきたようじゃのう。それともこれが本来の……。
「わらわの姿」
　そっと背中を押されるように歩き出す。笑い声を上げそうな顔で空を見やる。黒い雲のうねりが巨大な龍のように見えた。
　雨粒が額に落ちてきた。その一粒を皮切りにして針のような細い雨が一斉に地上に降り注ぐ。逃げ惑う人々を尻目に珠喪は両腕を広げた。回りながら全身で受け止める。
「最高の気分じゃ」
　軒下に逃れた人々の目が珠喪の行動を訝る。
　――そうじゃ。中学の時と同じ目じゃ。わらわを鋭い視線で、もっと打ち抜くのじゃ。これが、これこそが、本来のわらわの姿なのじゃ。
　珠喪の表情は陶酔の極みにあった。容赦ない雨粒が全身を打ち、周囲の鋭い視線が貫いた。
　――甘美じゃ。心がどす黒く蕩けてゆくようじゃ。
　突然に雨は止んだ。旧市街は静寂に包まれた。ひんやりとした空気の中、珠喪の歩みは遅くなる。
　歩きながら手にした石に意識を向けた。
　――不思議な石じゃのう。とても手放す気にはなれん。アクセサリーの類いにならんかのう。丸い形態を活かした月では安直じゃ。数珠も同じじゃのう。
　足が止まった。
「玉藻前じゃ」
　中学時代の仇名であった。珠喪は石に向かって微笑んだ。
　――この色であれば九尾の狐に合うじゃろう。名前も欲しいところじゃのう。そうじゃな、ナインテイルと名付けるぞよ。
「そなたの名は『ナインテイル』じゃ」
　満面の笑顔で石を天に翳す。珠喪は濡れた姿で旧市街の散歩を楽しんだ。

　その後、珠喪は酷い風邪に見舞われた。枕元には主人を心配するように『ナインテイル』が寄り添っていた。

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