不運はひっそりと忍び寄る｜リアクション

不運はひっそりと忍び寄る

　早朝に近い時間帯、星ヶ丘ホースクラブに八神修の姿があった。厩舎の清掃と馬のブラッシングを終えて馬場に向かう。頬を流れる汗は首から下げたタオルで拭った。
　馬場の状態は悪くない。修が見て回ると目に鋭い光を受けた。原因の元に小走りで駆け寄る。
　拾い上げたナイフの刃のような石の破片を自然光に照らす。緋色に薄っすらと虹が見て取れた。
「ファイアーオパールなのか？」
　口にして石を見詰める。
　――客の落し物だろうか。色は綺麗だが加工されたようには見えない。そうなると何処からきた物なのか。
「情報が足りないな」
　修はポケットに石を入れようとして止めた。急に不安げな顔となり、それとなく辺りを見回した。
「俺は管理人だ。落し物の管理も任されている」
　自身に強く言い聞かせた。その言動に少し驚いた表情を見せる。訝る目は石に注がれた。
　――染み出すような不安の元がわからない。特に変わったことはなかった。あるとすれば。
　修は手にしていた石を敢えて落とした。また拾い上げる。繰り返すことで確信を得た。
「この石が不安を掻き立てるのか」
　目に強い意志を宿らせて修は建物に引き返した。

　部屋に入ると修は私物の中から顕微鏡を取り出した。石の細部に注目した。傍らには鉱物図鑑を用意した。見た目や石の特徴を頭に刻み込む。
「ファイアーオパールの可能性が濃厚だな」
　顔を上げると、机上のホルダーに収められたナイフを見た。新たな検査方法が頭に浮かぶ。
　――石の表面をナイフで薄く削って条痕を見れば、更に結果の精度は上がるだろう。いや、誰かの落し物の可能性があるので、そこまで無理はできないか。石の価値以上の価値、思い出を弁償することは誰にもできない。
「問題は破片にあるな」
　小さな石が少なからず、心に影響を与えることは自身の行動で確かめた。他に破片は見つからなかった。どこかに元になった石の塊がある、と考えても不思議ではない。
　修は即座に行動を起こした。スマートフォンでネットの情報を調べる。地域限定の掲示板にも目を通した。
「ダメか」
　曖昧な情報を省けば皆無に等しい。修は連れてきた愛犬の名を呟くと、部屋を飛び出していった。

　馬場を修と柴犬のカーキーが連れ立って歩く。
　修は視線を下げて言った。
「どうかな」
　カーキーには事前に石の破片を見せていた。念の為に鼻にも近づけた。修が愛犬に寄せる期待は大きい。
「焦らなくてもいいか」
　カーキーは尻尾を振りながら歩いた。特に異常は見られなかった。修は探す範囲を広げた。敷地の際の方まで率先して足を運んだ。
　時にカーキーが興奮した様子で吠えた。僅かに残った下草に前脚を突っ込んでは下がり、唸るような声で姿勢を低くした。修が覗くと小さな虫が飛び出してきた。
「気になるのはわかるけど、それじゃないよ」
　苦笑する修にカーキーは頭を下げた。鼻を地面に近づけて歩き出す。修は別のところに目を向けて石の発見に努めた。
　客が出入り可能な場所の全てを当たった。しかし、肝心の石は見つからなかった。最低限の安全は確保した。
「時間切れだ」
　打ち切りを宣言した修の表情はどこか冴えない。関係者以外は立ち入り禁止となっている場所に目が流れる。カーキーが労わるように足元に擦り寄ってきた。
「仕方がない。予約の客もいるし、俺のできることはここまでだ」
　同意するようにカーキーは元気に吠えた。
　修は客を迎える用意に入った。合間に薄青い空にちらりと目をやった。
　――この寝子島全体に石が散らばっている可能性はあるのだろうか。
　過る不安も石のせいなのか。修はポケットから石の破片を摘まみ出した。厳しい表情で向き合う。
「俺は揺らがない」
　強い意志を口にして石を元に戻す。
　間もなくホースクラブには沢山の人が訪れた。

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