不運はひっそりと忍び寄る｜リアクション

不運はひっそりと忍び寄る

　サーフボードケースを肩に引っ掛けて入江みつびが海岸に訪れた。ウェットスーツで固めた全身に風が吹き付ける。思わず、その場で足踏みをした。
「寒くない！　ことはないけど、良い波がきてるよね！」
　打ち寄せる波は黒々とした岩場に砕かれ、散り散りの泡となった。みつびは表情を引き締めた。後頭部の団子状の髪を手で確かめる。
　その時、一部が光った。深緑の石の破片が髪に巻き込まれていた。本人は気付いていないのか。速やかに準備体操に移った。
　手首や足首を入念に回す。首や肩と加えて全身運動に入った。頬が火照る頃合いで蹴りの動作を加える。
「あとは波に乗って技に磨きをかけるだけだよね」
　陽気な声に反して目は真剣であった。
　――なんで、こんなに不安になるのかな。あんなにサーフィンをがんばってきたんだから、部員勧誘の時だって恥ずかしくない技を見せられると思ってたのに。
　こうなったら練習しかないよね。不安にならないくらいに上手くなればいいんだよ。だから、私は荒れた海に来たんだし。
　思考が途切れた。白い波濤を目にしたのだ。
「あの波に乗るしかないよね」
　サーフボードを持ってみつびは海に飛び込んでいった。相棒に身体を預けた腹這いで、ゆっくりとパドリングを始めた。徐々に加速して波の懐に入っていく。相棒とはリシュコードという絆でしっかりと結ばれている。失敗したとしても大事になることはない。
「さあ、いくよ！」
　サーフボードの上に立ち上がった。瞬間、片方の足を派手に滑らせた。
「コードを踏んじゃ」
　言葉は大波に飲まれた。みつびは易々と押し戻された。岩場の手前で海面から勢いよく顔を出す。
「こんなことで、みつびちゃんは諦めないのだ！」
　再び波に向かってパドリングを開始した。小さい波はサーフボードのノーズで蹴散らし、大波に備える。
「きたよ、きた！　この波を待ってたんだよ」
　みつびは波頭に乗った。サーフボードを前に傾けて波を下り、三百六十度の回転を加える。
「スリーシックスティーンの成功だよ」
　喜ぶみつびを波は容赦なく巻き込んでいく。焦った表情で脱出を試みるが、遅かった。海中に沈められ、無秩序な回転を加えて岩場に押し流した。
「いったーい、何なのよ、今のパイプは。あー、血が出てるしぃ」
　ウェットスーツの腕の部分が岩場に切り裂かれ、覗いた肌から血が滲んでいた。その場の海水で傷口を洗う。痛みで身体が小刻みに震えた。
　涙で潤んだ目を波に向けた。
「私は産卵にきたウミガメじゃないんだ！　泣かすんじゃないよ、バカヤロー」
　大波は無言で押し寄せて、瞬く間にみつびを黙らせた。頭から海水を被った。海藻の置き土産まであった。
「やってやろうじゃない！　聖地のノースショアのような大波も乗りこなしてやるんだから！」
　負傷した腕を忘れて、みつびは大波に果敢に挑んだ。そして巻き込まれて翻弄された。諦めずに何度も向かう。飲み込まれて岩場の餌食になっても泣かない。いや、少しは泣いたが本人は空元気で乗り越えた。
「失敗したって負けないよ」
　大波に飲まれる直前でサーフボードを沈めた。片膝を突いた状態で軽く背を逸らし、ドルフィンスルーで波を遣り過ごす。
　気持ちを新たに次のオレンジの波濤に挑戦した。
「いっけー」
　ノーズが波頭を斜め上に切り裂いた。中空のみつびを夕陽が照らす。最後は回転して波に巻き込まれた。

　髪型は激しく崩れた。石の破片は海の藻屑となった。ウェットスーツは至るところが切り裂かれていた。
　みつびは疲れ果てた様子で帰っていく。
「良い波で楽しめたけど、身体はボロボロだよ。でも、最後は決まったのかな。よくわからなかったんだけど」
　海の方に振り返って笑みを浮かべる。
「決まってたらいいなー、ロデオフリップ」
　頬を夕陽に負けないくらいに染めて言った。

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