不運はひっそりと忍び寄る｜リアクション

不運はひっそりと忍び寄る

　夜空に星が瞬く頃、桜月は散歩に出掛けた。厚手の赤いコート姿で純白の日傘を差している。ひっそりとした星ヶ丘の家々を眺めながら歩いた。
　――ここは相変わらず、人がいないな。
　月は日傘を回した。黒いブーツの靴音を響かせて陽気に振る舞った。
　数分で元に戻った。いや、傍目には悪化した。月は俯き加減でとぼとぼ歩く。寂しげな横顔を白い髪が労わるように隠した。寂しがり屋のウサギのように赤い瞳は何かを求めて揺蕩う。
　街灯の下で光る物体を目にした。
「夜が固まったみたいだ」
　指で摘まんだ石を人工的な光に翳す。全体が深い藍色をしていた。
「デザインに使えるかな」
　コートのポケットに入れて歩き出す。

　見掛けたコンビニエンスストアはとても明るかった。眩しそうな目で月は立ち寄り、温かい紅茶を購入した。
　その足で近くの公園に赴き、ベンチに座って紅茶を飲み始めた。
「温かいけど」
　缶を両手で包む。心は冷たいままだった。どれだけ飲んでも変わらない。
　最後の一口を飲み終えた。
「……寂しいな」
　その声に月は驚いた。自身の唇に指を当てる。目は周囲を見回した。誰もいないことを確認して胸中で強く念じた。
　月のろっこん、『月影の死神』が発動した。足元の影は伸びて立体化した。心配そうに首を傾げて近づき、月の頭を撫でた。
「違うんだ」
　月は影の手を払い除けた。そうじゃない、と吐き捨てて唇を噛み締める。
　――人じゃないと、彼女じゃないと、駄目なんだ。
　月は立ち上がって空になった缶を屑籠に投げ捨てた。閉じた日傘を持って早足で公園の外に向かう。
　足元から金属音が鳴った。ブーツの留め金の一部が弾けて月は俯せに転んだ。片方の膝を強かに地面に打ち付けた。
　――痛い、寂しい、痛い、彼女もいない、独り、どうして、なんで、なんで、なんで！
　悲しみが加速する怒りに呑み込まれていく。落ちていた日傘を手繰り寄せた。不安定ながらも起き上がる。
　影は何も言わないで側に立っていた。目にした瞬間、月は絶叫した。
「なんでよぉぉぉ！」
　瞬く間に日傘は凶器と化す。影を滅多打ちにした。踏ん張りの利かない足で殴り続ける。
　息が切れた。日傘は中程で曲がっていた。影は平然とした姿で立っている。月を見下ろしているようだった。
「私の影のくせに！」
　日傘の柄を両手で強く握り締める。揺れる膝で月は大きく振り被った。

　月は汗と土に塗れた。地面に仰向けになって寝転がっていた。
　顔を横に向けた。波打った日傘が見える。手にして上体を起こした。
「……なんで」
　月は疲れた表情で呟いた。
　――なんで、こんなことに。私にあんな激しい感情があったなんて。
　日傘を杖の代わりにして立ち上がった。
「やはり、無理か」
　歪な形の日傘は本来の役割を放棄した。不格好な杖となって月の歩行を助けた。
　――早く家に帰ろう。ゆっくり休みたい。何も考えないで眠りに落ちたいんだ。
　片方の足を引き摺って泣きそうな表情で帰路に就いた。

　公園に静けさが戻る。踏み荒らされた地面には藍色の石が取り残されていた。
　夜気を吸い込んで怪しく光っていた。

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