ふわりと幸運は舞い降りる｜リアクション

ふわりと幸運は舞い降りる

　晴れ渡った空を様々な鳥が飛び交う。電線にはスズメが一列になって留まっている。世間話をするように頻りに囀っていた。
　御巫時子は手を翳して見上げた。紅梅色の小紋の着物が様になっていた。
「こんにちは」
　軽い挨拶を済ませると散歩の続きを再開した。旧市街の道を気の赴くままに歩く。道沿いの木造家屋が想像力を駆り立てた。上空の鳥と共に時子は見て回る。
　道は前方で左右に分かれていた。時子の目は右を選んだ。
　右手に折れると疎らに人がいた。その一人に目が留まる。やや猫背でモスグリーンのコートを着ていた。人相は、はっきりとしない。目はボサボサの前髪に隠れた状態で横手の道に入っていった。
　――あれは尚輝先生？
　頭に閃いた瞬間、時子は小股で急いだ。先程の人物が消えた道へと入る。直後に足が行先に迷った。
「どちらの道に行けば……」
　歪な形の三叉路の先は見えず、完全に人物を見失ってしまった。
　――見間違いでしょうか。
　思い直すかのように頭を軽く振った。一方の細い道に定めて歩を進める。
　どこからか子供達の笑い声が聞こえてきた。道の真ん中には補助輪の付いた自転車が放置されていた。時子は道の端に寄せようとして動きを止めた。
　時子は落ちていた緑色の手袋を拾い上げた。広げた状態にして、そうですね、と表情を和らげた。
　――私が尚輝先生に編んだ手袋は、こんなに小さくないですね。
　時子は自転車を道の端に寄せた。拾った手袋は埃を払ってから前カゴに入れた。
「もう少し歩いてみましょう」
　時子は道なりに歩いて明るい通りに出た。途端に表情まで明るくなった。
「やはり、尚輝先生でしたね」
　モスグリーンのコートを着た五十嵐尚輝が立ち止まって周囲を見回していた。
「御巫さん、こんにちは。その、僕が、どうかしましたか」
「なんでもありません。先生はこのようなところで何をしているのですか」
「……コーヒーのストックが切れたので、チラシのスーパーに行こうとしたのですが……迷ってしまったようで」
　いつもと変わらない落ち着いた声で言った。
「もしかして新聞のチラシのスーパーですか」
「はい、そうです」
「私が場所を知っています。案内しますね」
「お願いします」
　二人は並んで歩き出した。時子は柔らかい笑みを浮かべていた。
「尚輝先生、コーヒーもいいですが、少しは自炊もしてくださいね」
「……善処します」
　時子はちらりと横を見た。前髪に隠れた目のせいで尚輝の表情を読み取ることはできなかった。
「私が尚輝先生の家に出向いて、毎日、料理を作りましょうか」
「それは少し問題が……からかわないでください」
　時子は肩を竦めた姿で控え目に舌を出していた。尚輝の言葉を受けて姿勢を正す。
「たまに化学室に差し入れを持っていくのはよろしいでしょうか」
「……困りましたね」
　やんわりとした言葉に時子は、はい、と笑って答えた。視線は下の方に流れて尚輝の手を見詰める。緑色の手袋が嵌められていた。
「私はスーパーで、コーヒーによく合うサンドイッチの材料を買いますね」
　尚輝は何も答えなかった。時子は満足そうな笑みで、半歩、横に近づいて歩いた。手の甲が触れそうな位置でスーパーまでの道程を楽しむのだった。