ふわりと幸運は舞い降りる｜リアクション

ふわりと幸運は舞い降りる

　星ヶ丘の邸宅の一角に八神修はいた。自転車に跨った状態で空を見上げている。
「今日はどこに行こうか」
　前カゴの特等席にいた白猫のミルクが甘えた声で鳴く。尻尾を軽く左右に振っていた。
「どこでもいいか。皆で一緒に行けるところなら」
　修はジャージのポケットから葉書を取り出した。裏にはツインテールの彼女の写真が印刷されていた。大きな雪玉を持った状態で振り被っている。頬は少し赤らみ、大きな笑い声が聞こえてきそうな表情をしていた。
「実家に帰った時の写真なのかな」
　微笑み掛けた修は葉書をポケットに収めた。
　真っ直ぐな視線でペダルを踏んだ。目を細めたミルクが愛らしく鳴いた。
「皆でどこまでも行こう」
　葉書の彼女にも聞こえるような声で自転車を走らせた。

　街中は混雑の度合いを深めていた。信号にも引っ掛かる。赤信号で止まっていた修は小声で言った。
「ミルク、海を見に行こうか」
　言葉が通じたのだろうか。しっかりした鳴き声を返してきた。修は褒めるように頭を撫でた。
　信号が青に変わった。自転車は勢いよく飛び出して寝子ヶ浜海岸に通じる道を選んだ。ペダルを漕ぐ足が速くなる。
　間もなく二つの空が見えてきた。それくらいに海は青く、澄んでいた。
「どこまでも行こう」
　路肩で止まらず、自転車は海を目指した。タイヤが砂に埋もれた。修は立ち漕ぎで抗った。荒い息遣いで頬を赤くしてペダルを踏み込んだ。その笑顔は葉書の彼女と、どこか似ている。
　ゆっくりと力尽きるように自転車は止まった。修は砂浜に背中から倒れた。両手を頭の後ろに組んで空と向き合う。
「……青いな」
　空は本当に青かった。
「あおいかな」
　取り出した葉書を空に掲げて呟いた。青い背景に雪合戦の一場面がとても映える。
「どこかで会えないかな」
　前カゴから降りてきたミルクが修の顔に頬擦りした。
「ミルクも会いたいんだな」
　修は上体を起こした。ミルクが膝の上に乗って丸くなる。頭から背中に掛けて優しい手付きで撫でた。
　手を動かしたまま、目は空と海を眺めた。表情に活気が満ちてくる。
「三つ目のあおいを探しに行こう」
　修はミルクを前カゴに乗せて自転車を走らせた。最初に向かったのはキャットロードであった。歩道の人々に素早い視線を送る。そこに彼女はいなかった。
　自転車は旧市街に向かう。図書館の前をゆっくりと走った。
「ここにもいないか」
　道なりに進んで美術館の前を通り過ぎた。参道商店街に近い信号で自転車を止めた。
「……今日は会えないのかな」
　呟いた瞬間、背後から声を掛けられた。
「修君、こんなところで会えるなんて、びっくりしたよ」
　その声を耳にした瞬間、修は顔を綻ばせた。即座に表情を抑える。余裕を持って後ろを振り返った。
「俺もこんなところで、あおいに会えるとは思っていなかったよ」
「こんな偶然ってあるんだね。本当に会えてよかったわ」
　七夜あおいはツインテールを弾ませて言った。修は少し乱れた髪を手で直す。
「そんなに俺に会いたかったのか？」
「実は付き合って欲しいのよ」
　その言葉に修は明らかに動揺した。支える足が震えて自転車が斜めに傾いだ。
「その、俺はいいけど」
「助かったわ。この近くのスーパーで全品五％オフのセールがあるのよ。荷物持ちになるけど、お願いね」
　あおいは掌を合わせて、はにかむように笑った。修はぎこちない笑みで引き受けた。
　信号が青に変わる。二人と一匹は揃ってスーパーを目指す。
　その途中、修はちらりと空を見た。
　――俺も青いな。
　今日の空は本当に青かった。