ふわりと幸運は舞い降りる｜リアクション

ふわりと幸運は舞い降りる

「ごちそうさまでした」
　鬼河内萌は空になった食器に手を合わせた。手早く重ねてキッチンに運ぶと、その足で洗面台に立ち寄った。
「眠くなっちゃった」
　鏡の中の自分に向かって大きな欠伸をした。目を擦りながら歯を磨き始める。つけっ放しのテレビから陽気な音楽が流れてきた。萌はリズムに乗って徐々に目を覚ましていった。
　口をゆすいで笑顔を見せる。鏡に映る白い八重歯に満足して部屋に戻った。
「今日は何が安いのかな」
　テーブルには投函された状態の新聞紙が置いてある。正面のテレビはニュース番組になっていた。
　新聞紙から折込チラシを取り出した。早速、一枚目に目を通す。そっかー、と少し残念そうな声で二枚目を手にした。
　萌は目を丸くしてチラシに顔を近づけた。
「今日は全品、五％オフの日！」
　タマネギとニンジン、切り落としの牛肉を次々と指差した。カレー粉に目が及び、急にキッチンに駆け込んだ。
「これなら安心だよ」
　戸棚の中には各社のカレー粉のストックがずらりと並んでいた。
「材料は買わないとね」
　萌は出掛ける用意を始めた。
　テレビのアナウンサーが集団暴行を伝える。逃走中の犯人の一人は男性で二十代前半。吊り目で眉尻に切り傷があるとのことだった。
「ピンクのリボンも付けなくっちゃ」
　ポニーテールの根本に巨大なリボンを結ぶ。服装は暖色系のゴシックロリータ。白いニーソックスで愛らしく纏めた。
「張り切って出かけるよ」
　玄関に向かう途中で慌てて引き返してきた。自身の頭を軽く小突いてテレビを切った。
「他はだいじょうぶだね」
　萌は子供っぽい笑みで外に飛び出していった。

　萌は裏道を選んだ。スーパーへの最短の道であった。剣道で鍛えた身軽さを武器に細々とした物を避けてひた走る。
「ここを曲がればすぐだよ」
　笑顔で曲がると目の前に背中が現れた。道幅が狭いので横に避けるのは難しい。咄嗟の判断で上体を逸らし、両足を踏ん張る。減速したものの、止まることは出来なかった。
「避けて！」
　両方の掌を前に出して自身を守る。結果として相手は突き飛ばされ、路上を転がった。
　萌は慌てて駆け寄る。
「あ、あの、だいじょうぶ？」
「大丈夫じゃねぇよ！」
　起き上がった相手、若い男性の下唇が少し切れていた。血の混じった唾を路上に吐いて上から萌を睨み付ける。
「ふえぇ、顔が怖いよぉ」
「吊り目で悪かったな。ガキ、俺のことを捕まえるつもりだな」
「な、なんのこと？」
　萌はわからないという風に頭を振った。男性は自身の眉尻に親指を向ける。
「この傷のことをニュースでやってたよな」
「そんなの知らないよ。もしかして有名人なの？」
「まあ、有名だな」
　その言葉に萌は少し笑みを見せた。男性は嘲るような表情で言った。
「集団暴行の犯人だからな。その俺は女子供でも容赦しない」
「ふえぇぇ、そんなのダメだよぉ」
　機敏な動きは完全に封じられた。恐怖が萌の足を縛る。それどころか全身が震えて膝が折れそうになっていた。
　泣き出しそうな萌の顔が瞬時に驚愕へと変わる。半開きの口が必死になって言葉を探す。男性は片方の眉を吊り上げて、なんだコイツ？　と嗤って言った。
　萌は力いっぱい叫んだ。
「ユウくん、助けて！」
「カッコイイ俺を見せてやるぜ！」
　背後からの声に男性は即座に振り返る。その動作で野菜原ユウの跳び蹴りは躱された。しかし、曲げた方の足が相手の顔面を直撃。二人は縺れ合って路上に倒れ込んだ。
「ユウくん！」
　ユウは尻餅を突いた状態で掌を振った。
「擦り剥けたんだけど、これでいいんだよな？」
「もちろんだよ！　とってもカッコ良かったよ！」
「まあ、それならオッケーだな！」
　ツーブロックの髪に手櫛を入れてユウは笑った。萌は手を差し出して引っ張り起こす。
　犯人の一人は気絶した状態で警察に引き渡されるのだった。

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