大きなイチョウの木の下で｜リアクション

大きなイチョウの木の下で

「わぁ、小さくてかわいい鳥居だねぇ」

「そうだな」
　石段の途中で足を止めた瑠樹の言葉に御剣刀は面を上げ、たしかにと思った。
　刀がふたりといるには訳がある。剣術の練習後、見回り兼ランニングをしていた刀は、こんな時刻にロープウェイに乗り込もうとしている小学生に何かを感じて後をつけ、砂掛谷駅で降車したふたりに声をかけた。もうすぐ日が沈む。暗くなって危険だから家に帰るように、とさとす刀に、孝明はどうしても行かなくてはならないと言い張った。その姿に、何か事情がありそうだと察した刀は、自己紹介をして臨時保護者を買って出たのだ。
「ボディガードにはうってつけだろう？」
　突然の提案に孝明は少しうさんくさがっていたが、刀の背負った竹刀袋をじっと見て、うなずいた。
　その点、瑠樹はあっけらかんとしていた。
「いいよぉ。いっぱいいた方が楽しいしねぇ」
　にこにこ笑って、あっという間に刀に懐いた。
　そして孝明がスマホに出した地図を見ながら、目的地である星神社へとたどり着いたのだった。
「あれ……、人がいる？」
　鳥居をくぐった瑠樹は意気揚々と境内に駆け込もうとしたのだが、奥に人影を見つけてやめた。
「この小さな神社に私ら以外にもお客さんかな？」
　蔵人が帽子のつばを持ち上げて顔を見せる。下から現れた、人の良さそうなほっこりとした笑顔を見て、瑠樹は警戒を緩めた。
「おじさんたち、だれ？」
「きみたちこそ。子どもはもう家にいる時刻だよ。すぐに真っ暗になっちゃうからね」
　優しく正論を言われて、瑠樹はうっと言葉に詰まる。
「瑠樹くんはぼくを心配して、ついてきてくれただけなんだ」
　答えたのは孝明だった。前に出て瑠樹を背に庇い込む。
「俺も一緒にいますから、大丈夫です」
「きみも子どもだろう？」
　ロープウェイの最終便が出る前に街へ下りた方がいい、俺たちもそうするから、と蔵人がさらに言葉を重ねて帰宅を促そうとしたときだ。
「それじゃだめなんだ！」
　孝明が叫んだ。
「今じゃないと！　ぼくを殺そうとしてるあの女の人に会うには、ここで、今じゃないといけないんだ！」
「……殺すとは穏やかじゃないな」
　孝明のした突然の爆弾発言に、刀は内心驚きつつも平静を装って訊く。ボディガードは方便で、夜道に潜む危険に対する予防策と思っての言葉だった。まさか本当にこの少年に必要だとは考えてもいなかった。
「その女性は本当におまえを殺そうとしているのか？」
「……夜、首を絞めるんだ」
　ためらいがちに言う孝明に、刀は眉をひそめた。
「部屋で寝ているおまえの首をか？」
「……うん」
　普通に考えればそれは家人となるが、それだと孝明が『女の人』と呼ぶのが分からない。ここへ来なくてはならないことも。
「夢じゃないよ！」
　無言で見つめてくる刀に、きっとそう思われたと誤解して、あわてて孝明は弁解を始める。
「もう何回もされてる！　昨夜も来て……。あの女の人、幽霊なんだ！　それで、どうしてか分からないけど、ぼくを殺そうとしてるんだ！」
「ちょっと待て。よく話が見えない」
「嘘じゃないよ！」
「分かった。女の幽霊がおまえの部屋に出て、殺そうとしてるんだな」
「信じてくれるの？」
　こんなの、信じてくれという方が無茶だとばかり思い込んでいた。
　驚く孝明に、刀は真面目な顔でうなずいた。
「ああ。だが、どうしてここなんだ？　部屋に出るのなら、部屋で待つ方がいいんじゃないか？」
「それは……」
　歯切れの悪い言葉で言いよどんだあと。ためらいがちに孝明は口を開いた。
「女の人の、後ろに、見えたんだ……ここの鳥居が」
　赤い鳥居には『星神社』の文字があった。そして釘を打つような音。
「それに、会えるとしたら、今じゃないと無理だと思うから……」
「今？」
「……夕方は、逢魔が時って……いうから……」
　たそがれ時は逢魔が時。
　日が落ちる寸前のこの時刻は、すべてがにじんで、溶け込んで。境がはっきりとしなくなる。
　昔、たそがれ時は誰そ彼時と書いた。誰そ彼？（あなたはだれ？）と問いかけなければ、相手が何者かも分からない時間ということだ。そのため、昼とも夜ともつかないこのわずかな時間には人と人じゃないものが合い混じり、ともに在ることができるのだという説がある。
「そうなの？」
　初めて聞いたというように瑠樹に脇から覗き込むように見上げてこられて、孝明は視線をそらした。
「分からない。本にはそう書いてあったってだけ」
　だけど、ほかにどうしたら会えるか分からないから……。

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