大きなイチョウの木の下で｜リアクション

大きなイチョウの木の下で

「道江さんは完全におかしくなっていました。翌日、そのことを知った夫が腹を立て、道江さんのところへ乗り込んで行ったとき……道江さんは、布団で寝ている孝明くんの首を絞めていました……」
　雅治は仰天し、あわてて道江を羽交い絞めにして止め、その間に香奈枝は孝明の無事を確認した。孝明の顔には死者のように白い布がかけられ、首には赤い手形がくっきりとついていた。
　その後、憑きものがとれたように道江は脱力し、だれの言葉にも耳を貸すことはなく、孝明にも反応しなくなった。そして監視の目が緩まったとたん星神社で首吊り自殺をしてしまったのだという。
「ああ、とうとう……とわたしは思いました」
　道江が不憫で悲しかったけれど、同時に、これで終わったのだとほっとしてもいた。
　孝明は「長田」を継いだ姉夫婦に引き取られた。しかしそれから間もなくして、不審な事故が孝明の周りで起き始めた。まだ終わってはいなかったのだ。
　姉は素早かった。夫が不審死をしたとき、これは怨霊の仕業とその道の者に依頼して、思いつくありとあらゆる手を打ってもらった。怨霊の目から孝明を隠すため、長田家から遠ざける必要があるとして、孝明は香奈枝の元へ預けられた。これでようやく平和が戻ってきたと思っていたのだが……。
「孝明くんは、ときどき夜うなされています。「知らない女の人に首を絞められる夢を見るんだ」と言っていました。それが現実に起きたことだと、幼い彼には知られたくありません。その女性が母親だなんて……。
　もちろんいつまでも隠し通せることじゃありません。いずれは知ることになるでしょうけれど、できる限り遅くしたいというのがわたしたちの考えです」

　どれくらい屋内にいたのか。外へ出ると太陽のまぶしさが目に染みて、蔵人は帽子のつばの下で目を眇める。
「悪霊、怨霊、母の憎しみ……人を呪わば穴二つ……。ったく、この手の話はほんと、尽きることがねぇなぁ」
　やれやれと肩をもみながら車に乗り込もうとした靖史を、蔵人が呼びとめた。
「やっさんの用事はこれで終わり？　じゃあちょっと俺につきあってくれないかな」
「ん？　何か用事があったのか？」
「うん。いや、できたというか。
　ほら、さっき話に出てきた神社へ行ってみないかと思って」
「母親が首吊りした神社か」
　もちろん靖史に拒む理由はなかった。
「しかしどこにあるかがなあ。もう一度行って、聞いて――って、くらちゃん知ってんの？」
　蔵人の表情を読んで、靖史はドアにかけていた手を止める。蔵人はにっこり笑っていつもの笑顔を見せた。