大きなイチョウの木の下で｜リアクション

大きなイチョウの木の下で

　
　
　　　たそがれ時は逢魔が時。
　　　逢魔が時は禍（まがつ）時。

　全員が同時に感じ取り、裏の林へと通じる小径を振り返る。
　木々の隙間から、夜空が広がる西の地平にわずかに夕焼けの名残りのような赤いラインが走っているのが見える。
　それらを背景に、長い髪を風に吹き流した女の暗い影が立っていた。
　目にした瞬間、全員の身内に冷たい衝撃が走った。
　総毛立つような戦慄を感じるとともに、全員が一瞬で事態を把握していた。あれが孝明の言っていた『女性』だと。
　だが、幽霊？
　そんな生やさしい存在か？　『あれ』が。
　禍々しく捩じれきっていたがまごうことなき殺意に反応して、刀は木刀を抜く。
「……遅かったか」
「痛いよ、彰尋さん」
「あ。すまない」
　言われて、彰尋は掴んだままだった手を放した。
　まさかこんなものを目にすることになろうとは。蔵人はつばの影で表情を隠す。
　呪いとは人間心理に働くものだとばかり思っていた。物理的に害を成すとは驚きだった。
（あれが呪いの結果として、丑の刻参りが原因なら、方法がなくはないが……）
　孝明に視線を戻した。ついに対決の時がきたことに青ざめながらも食い入るように人影を見つめている。
（どうやらそれじゃ済まないようだね）
「いいかい、少年！」蔵人はがしっと孝明の両肩を握った。「呪いに一番効くのは強い心だ！　おまえなんぞに負けないぞ、決して屈しないぞと強く思うんだ！
　どんな呪いも始まりは人の心だ。それに勝つのも人の心だよ！」
　呪い？　と、孝明は首をひねる。彼の言っていることは半分くらい分からなかった。けれど。

「そのとおりだ」
　突然そんな言葉が降ってきて、後ろからぽんと軽く頭を叩かれた。
　見上げても、孝明はそれがだれか分からない。
「おにいさん、だれ？」
　しかし知っている者もいたようで。
「楓！？　楓じゃないか？」
　彰尋が驚いたように名を呼んだ。影の方にすっかり意識を奪われて、全く気付けていなかったと言っているも同然の顔を、楓は無表情に見返す。
「おまえどうしてここに……」
「うちのちび助を捜しにこの下を歩ってたら、なんか騒がしいと思ってな。ちょっくら見に来たってわけ」
「そうか……。いや、この際そんなことはどうでもいい。おまえも一緒に――」
「断る」
　そう言われると思ったと、言葉にかぶせて答えを返す。彰尋は面食らった。
「は？　今何て言った？」
「断固拒否する。こっちに火の粉が降りかかってくるなら話は別だが、俺は無償で動く気はねぇ」
「……おまえ……」
　そういやこういうやつだった、と少々滅入り気味に言葉を噛みつぶす。
　そのとき、楓の視界をかすめるように孝明が走って前に出た。両足を踏ん張り、真っ黒い人影をにらんですうっと息を吸い込む。
「ぼく……ぼく、あなたに、言いたいことがあって、来ました！
　もう、ぼくのうちに来ないでくださいっ！　あなたが来ると、迷惑なんです！　やさしいおばさんやおじさんに心配かけたくないし……」
　もし、どうしてもきいてくれないならと、ポケットのなかの物を握る手の力を強めたとき。

『たかちゃん……』

　黒い人影が孝明のすぐ前に出現した。
「！」
　歩いたわけでも浮遊してきたわけでもなく、一瞬で目の前に現れたことに孝明は驚愕し、続けようとした言葉を失う。
『たかちゃん、ごめんねえ……』
　人影は聞き慣れたいつもの言葉をつぶやく。同時に、幕が下りるように孝明の目の前に白い靄がかかった。
　ああ、あの白い布だと思う。布を通して、彼女がぼんやりとしか見えなくなる。
　両腕が持ち上げられ、孝明へと伸びる。