天使と悪魔のロマネスク｜リアクション

天使と悪魔のロマネスク

ナイトクラブ『Cocytus』（１）

「……どうぞ。当店のオリジナルカクテル『フローズン・トゥ・デス』になります」
「ありがとう」
　悪魔のバーテンがついと押し出したグラスを取り、ひと口味わってみれば、
「……！　効くなぁ……」
　確かに魔界のカクテルは強烈で、パンチがある。名前とは裏腹にひたすら強く、しかしそれでいて味わい深く、檜山立樹の口には合ったようで、これがなかなか悪くは無い。
　それにしても、と、立樹は周囲へ視線を巡らせる。ナイトクラブ『Cocytus（コキュートス）』の内装は思いのほか小洒落ているが、薄暗い店内には、無数の悪魔たちがひしめき合っている。
　立樹の背にもまた、黒い翼があった。
（まさか、悪魔になるなんてね）
　といって彼は、慌てるでもなく。変わった夢だなぁ、とこの状況を楽しんでいる。彼もまたバーテンダーであり、悪魔の出す酒やその仕事ぶりには、大いに興味をそそられた。
「……うん？」
　と、そこで。立樹は店の奥に、見間違えようも無く、良く知る顔があることに気が付いた。

　悪魔のホストともなると、さすがの手練手管。むすっとした無表情が板についたような氷華・クルバトフでさえ、
「ああ……氷結地獄にも勝るその冷たい瞳に射抜かれると、俺の心臓までも凍り付いてしまいそうだ。美しい人」
「君こそ、この煉獄に舞い降りた堕天使だ。悪魔の中の悪魔だ、なんて冷血で、素敵なのだろう」
「……ふむ。何だ、悪くは無いな、こういうのも」
　語彙のチョイスがどうにも、コテコテではあったが。相手を務める悪魔たちは揃って甘いマスクのイケメンで、何やら勝手にどんどん持ち上げてくれるもので、氷華もまんざらでは無かったりした。
「ちょうどいい。あなたたち、魔界について色々と、教えてくれるか？　来たばかり……じゃない、世間知らずなものでね」
「仰せのままに」
　普段はこのような店には入らない彼女が、あえて足を踏み入れたのはつまり、情報収集のためでもある。
　そうしてしばし、馴れ馴れしい悪魔の口説き文句をかわしつつ、興味深い魔界の話に耳を傾けていたところ、
「……氷華さん」
　声をかけられ振り向けば、そこには他ならぬ、彼の姿。立樹が立っていた。
「檜山さん……？　あなたも来ていたんですか？」
　が、同時に気付く。彼の目が、いつもの優しい輝きとは少しばかり違って、どこか剣呑な光を宿していることに……魔界のカクテルの影響か、それとも悪魔の翼を得たがためだったのだろうか？
　ともかく彼は、氷華の前でおもむろにイケメン悪魔たちをじろりと睨みつけると、言い放った。
「氷華さんは、俺のだ。手を出すな」
「っ！？　なっななな、何を言ってるんですかっ檜山さん！？」

　慌てて立樹の手を引き、氷華は店を飛び出した。何だか頬が熱く、ぽうっと火照っているような気がするのは、何も魔界を流れる溶岩流のためだけではあるまい。
「いや……自分でも良く分からないんだけど。氷華さんが他の男たちと楽しそうにしてるのを見てたら、急にムカムカしてきて……はは、魔界の酒に酔ったみたいだね」
　我に返り、照れくさそうに立樹は言う。
「も、もう……っ。ちょっと、話を聞いてただけですよ……彼らとは、何でもないですから」
「うん。ごめんね？」
　今はもう表情も落ち着いて、いつもの彼の優しい眼差しに、動悸で弾む胸を撫で下ろす。
「いえ。いいんです、少し……嬉しかったですし……」
「え、何が？」
「……そっそれより！　ほら、あそこに漫画喫茶がありますよ。酔い覚ましに、覗いていきませんか」
「あ、本当だ。魔界の漫画って、どんなのだろうね？」
　その後もふたりは、並んで一緒に。奇妙な世界を、ともに楽しんだ。