子供達のイタズラ｜リアクション

子供達のイタズラ

　カジュアルな格好で八神修が街中を行く。手には書店の名前が印刷された紙袋を持っていた。足元には若犬のカーキーがきびきびと歩いている。一定の間隔を維持していてリードはほとんど役に立っていなかった。
「このまま帰るのが惜しいと思える天気だ」
　修の優しい眼差しを受けてカーキーは頭を振った。まるで頷いているかのようだった。
「人がいるから吠えないのかな」
　試すように話し掛ける。カーキーは先程よりも大きな身振りで頭を振った。修は下に向かって手を伸ばし、愛犬の頭を慈しむように撫でた。
　カーキーは少し甘えたような声を漏らす。すぐに黒目勝ちの目を上に向けた。心配そうな顔で反応を窺う。
「怒るわけがないだろ」
　修は笑顔で頭を撫でる。
「そこの犬好きのお兄さん、少し時間をよろしいですか」
「構わないよ」
　眼鏡を掛けた少年に修は気軽に答えた。
　少年は早速、本題に入る。
「漢字の読み方を教えて貰えますか」
「漢字か。俺でよければ」
　相手の実力を推し量る意図があるのか。少年は単語カードから一文字の漢字を選ぶ。
『烏』
「鳥に似ているが、これはカラスだ。牙と鳥を合わせた鴉もある」
「わかりました。では、もう一つ」
　少年は単語カードから『葵』を選んで見せる。照れ笑いを含んだ表情で修は答えた。
「あおいだよ。良い響きだ」
「よくわかりませんが、わかりました」
　眼鏡の中央を押し上げた少年は手早く漢字を提示した。
『海鼠腸』
「コノワタと読む。ナマコの腸が原材料だ」
「まだ、問題はあります。これはどうですか」
『蜻蜒』
「蜻蛉に似ているが、これはヤンマだな」
「少し簡単みたいなので、これはどうでしょう」
　少年は『阿羅斯加』という漢字を見せた。修は笑って言った。
「漢字が示す通りでアラスカだよ」
「正解です。どうも僕は籤運が悪いらしい」
　あからさまに肩を落とす少年に修は顔を近づけた。
「勉強熱心、というわけでもないのか？」
「勉強は好きですが、今回は知的な遊びですね」
「なるほど、わかったよ。でも、君は悪い人間ではないようだ」
「どうして、そう思うのですか」
　腑に落ちない少年に修は下を指差した。カーキーが先程から頻りに尻尾を振っている。
　少年は優しい目で笑った。
「納得しました。これは単なる興味ですが、紙袋の中身を聞いてもいいですか」
「これは『杜甫詩選』だよ。たまたま書店で見かけたんだ」
「たまたまで詩聖の本を買ったのですね。僕は相手を間違えたようなので退散します」
　少年は頭を下げて歩き出す。
「楽しい時間をありがとう」
　修の声に少年はもう一度、小さく頭を下げた。