子供達のイタズラ｜リアクション

子供達のイタズラ

　深倉理紗子は黒いオーバーコートを着ていた。ポケットに片手を入れた姿でのんびりと目抜き通りを歩く。翡翠を思わせる瞳は横手の店舗に向けられた。
　おもむろに足を止めた。理紗子は店内に陳列された品々を見やる。光の加減でショーウインドウには背後の人々が薄く映り込んでいた。
　理紗子はちらりと流し目を送る。細身の眼鏡を掛けた少年が立っていた。
　――あの男の子。どこまで付いてくるのかな。それともわたしの思い過ごし？
　理紗子は軽く息を吐いた。気怠い動作でショーウインドウから離れ、足を速める直前で声を掛けられた。
「少し時間をいいですか」
「わたしのこと？」
　声の方に向くと少年が間近にいて、そうです、と即答した。理紗子は努めて冷静を装う。若干、呼吸が速くなった。
　少年は厳しい表情を見せる。
「お姉さんは日本人ですよね」
「そうですけど」
「日本語は不自由なく使えますよね」
　少年は理紗子の緑の目を見て言い募る。小さな身体に圧倒されて、はい、と小さい声で答えた。
　途端に少年は表情を緩める。
「安心しました。では、問題です」
「はい、え？」
「この単語カードに書かれている漢字の読みを答えてください」
「え、ここで？」
　人の流れは穏やかで幸いなことに二人に関心を寄せる者はいなかった。
『頤』
　見せられた漢字に理紗子は安堵した。
「おとがいで下顎の意味になるわ」
「そうですか。意味は聞いてないですけど」
　少年の声に微かな怒りの感情が込められた。理紗子はビクッと肩を上げて弱々しい笑みを浮かべた。
　その態度を少年は見逃さなかった。勝ち誇ったような表情で勝負に出た。突き付けられた漢字に理紗子は赤面した。
「こ、これはちょっと、ここで答えるのは難しい、かな」
　単語カードには『乳房』と書かれていた。少年は次の漢字を手早く選び出す。
『桃尻』
「これもちょっと」
「卑猥な漢字ではありませんよ」
　少年の言葉に周囲の何人かが反応した。理紗子の目は泳ぎ、口調も怪しくなる。
「そ、そうなんだけど、連想させるよね。なんか、別の意味を」
「僕は小学生なので、大人の女性が考えるようなことはよくわかりません」
「よ、読みは、も、ももじりよ」
　涙目の理紗子に少年は頷く。
「意味は座りの悪い尻のことですよね」
　少年は満足した笑みで、ありがとうございました、と頭を下げた。
「じゃ、じゃあ、わたしは行くから」
　火照った顔を隠すように踵を返す。早足で歩きながら理紗子は自分の顔を手で扇いだ。