ストリーミング・ドリーマー｜リアクション

ストリーミング・ドリーマー

　冬の太陽は、射る寒さを和らげる柔らかな光りを湛えて居て。白い息を掌に吹き掛けて御巫時子は風の便りに聞いた和雑貨屋へと足を進める。
　耳福池の傍にこじんまりと居を構えた店舗は『宵緋堂』の看板を小さく携え、来訪者を待ち望む様に橙色の明りを漏れ出でさせる。市街地とは少しばかりの距離からか、小さく息を吐き疲れた様に肩を竦める時子は重たい木の扉を音を立てて押した。
　いらっしゃいませと告げる老婆のしゃがれた声は歓迎の色を含んでいて。
　和雑貨集めを趣味にする時子は見慣れぬ商品群に黒曜の瞳に好奇の色を湛える。
　店主との対話の内に、手に取った夢見の香――見たい夢が見れる。入りたい夢に入れる。それは戯言の様で、御伽噺の様で、嘘みたいな本当の話しなのだと店主は時子に囁いた。

（尚輝先生の夢にも入れるでしょうか？）
　掴みどころのない化学部の顧問。ぼんやりとした彼がどんな夢を見るのだろうかと考えて時子は唇に笑みを乗せた。きっと、夢の中でも常の通りに実験に勤しんで食べる事も忘れてしまうのではないだろうか。
　想像するだけでも、心が躍るものだから時子は香を焚く用意をし、いそいそと布団へと潜り込む。
　眠りの淵に彷徨うことなく、すぐに吸い込まれる様な眠気に襲われてゆっくりと瞼を伏せった。
「おやすみ……なさ……い……」
　ぐん、と足元を引き摺られる様な感覚に時子はぺたりと坐り込んでいる事に気づく。
　周囲を見渡せば、整頓された薬品棚と実験器具を並べた棚。ずらりと並んだ器具の中には見慣れないものも幾つか揃えられている。奇妙な色をした試薬があぶくを立てて、その存在を誇張しているのも目についた。
　真白の掌でぺたり、と床を触った時子は奇妙な感覚が『夢』の中なのだと合点がいった様に息を飲んだ。
　見慣れた背中は相変わらず少しばかり曲がり、実験器具に集中しているのが分かる。伸びた髪が肩口を撫で、細い指先はピンセットを握りしめ、薬剤の分量を測っているのだろうか。こちらに気付いている様子はない。
　学校の教室よりも広い部屋はリアリティを持った実験器具や薬品の他は余りに空虚だった。
　蛍光灯のない天井は真白に塗り潰され、室内であるというのにただひたすらに明るい。
（尚輝先生の夢の中？　……鍵を開けてもらえたのでしょうか？）
　じ、と見つめる時子は両の足に力を込めて棚の傍をゆっくりと進む。尚輝の背中へと近づきながら声をかけて実験の邪魔になるかと戸惑う指先は胸の前できゅ、と握りしめられた。
「御巫さん？　どうかしましたか」
　くるりと振り返った五十嵐尚輝は現実世界とは変わらない反応を時子へと返す。何の実験をされているのですかと問い掛ける時子の問いに尚輝は物腰柔らかな反応を返した。
　サイフォンの近くには見慣れた弁当箱が鎮座している。カップ麺じゃないんだと毀れた笑みに尚輝は小さく首を傾いだ。
「御巫さん、鳥が」
「本当ですね。皆でお話ししませんか？」
　彼の胸元の明るめの緑色のネクタイへと視線を向けて思う存分に雑談を話しだす彼女に尚輝も相槌を返す。
　彼の夢の中に自分が在る。その事が嬉しくて、話しこんでしまったと笑った時子は視線が克ち合った事に、さっと頬を赤らめる。
　机の上の器具を避けた指先が触れあうだけで頬の赤みが増していくようだから。
「御巫さん。そろそろ起きなくちゃいけないみたいですよ？」

　また『現実』で会いましょうね、と名残惜しい別れの言葉を残して時子は花瞼を押し上げる。
　何処からか聞こえた鳥の囀りに、眠気眼を擦りながら時子は小さく笑みを零した。
　尚輝先生らしくて、穏やかな想いがじわりと広がって行く。きっちりと眠っている事に安堵して。
「……おはようございます。せんせい」

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